明徳義塾高校野球部を長年率いてきた名将・馬淵史郎監督。
2026年夏の甲子園では自身の引退時期について「あと2年」と語ったことでも注目を集めています。
この記事では、馬淵史郎監督の経歴や学歴、妻や子供などの家族構成、「馬淵節」と呼ばれる発言や引退時期についてまとめます。
馬淵史郎監督の経歴は?
馬淵史郎監督は、明徳義塾高校を2002年夏の甲子園優勝へ導き、U-18日本代表でも世界一を経験した高校野球界を代表する指導者です。
- 名前:馬淵史郎(まぶち しろう)
- 生年月日:1955年11月28日
- 年齢:70歳(2026年8月現在)
- 出身:愛媛県
- 出身高校:愛媛県立三瓶高校
- 出身大学:拓殖大学
- 職業:高校野球指導者
- 所属:明徳義塾高校
高校、大学時代は野球部に所属し、内野手としてプレーしました。
1979年に拓殖大学政経学部政治学科を卒業した後は、地元・松山で民間企業に就職しています。
野球指導者への転機となったのは26歳ごろでした。
高校時代の恩師から社会人野球チームの指導を手伝ってほしいと誘われ、兵庫県の阿部企業でコーチを担当。
ところが約1年後に恩師が急逝したため、馬淵監督が後を継いで監督を務めることになります。
阿部企業では都市対抗野球ベスト8、日本選手権準優勝という結果を残しました。
明徳義塾の監督になるまで
社会人野球の指導を終えて愛媛へ戻った馬淵史郎監督に声をかけたのが、明徳義塾でした。
1987年に明徳義塾高校野球部のコーチに就任し、1990年から監督を務めています。
野球部の指導だけでなく、同校では社会科教諭や教頭も経験し、その後はスポーツ局局長も務めています。
1992年夏の甲子園では、星稜高校の松井秀喜さんに対する5打席連続敬遠で全国的な注目を集めました。
勝つための戦術を徹底する姿勢は大きな議論を呼びましたが、その後も明徳義塾を甲子園常連校として率い続けます。
そして2002年夏には決勝で智弁和歌山を破り、明徳義塾を初の全国制覇へ導きました。
U-18日本代表でも世界一
馬淵史郎監督は高校野球だけでなく、侍ジャパンU-18日本代表の監督も務めました。
2022年のU-18ワールドカップでは3位となり、2023年大会では日本代表を大会初優勝へ導いています。
高校野球の一校を率いるだけでなく、全国から選ばれた選手をまとめて世界一に導いた実績からも、指導者として高く評価されていることが分かります。
学歴は?
馬淵史郎監督の学歴は、愛媛県立三瓶高校から拓殖大学へ進学しています。
- 高校:愛媛県立三瓶高校
- 大学:拓殖大学政経学部政治学科
三瓶高校は愛媛県西予市にあった学校で、馬淵監督は野球部に所属していました。
2024年には母校を訪れて講演を行い、在校生らに自身の野球人生や、諦めずに努力を続ける大切さを伝えています。
高校卒業後は拓殖大学へ進学。
大学でも野球部に入り、4年間の寮生活を経験しています。
本人は大学時代について、規律を重んじることの大切さを学んだと振り返っており、その経験は現在の明徳義塾での指導にもつながっているようです。
妻は誰?
馬淵史郎監督の妻は、智子さんです。
愛媛県西予市の広報でも、馬淵監督が2023年のU-18ワールドカップ優勝の功績で表彰された際、妻の智子さんと一緒に写った写真が紹介されています。
妻は基本的に表舞台に出る人物ではなく、年齢など詳しいプロフィールは公表されていません。
一部では明徳義塾で英語教師を務めていたとの情報もありますが、確認できる公的資料が限られているため、職歴については断定できません。
ただ、馬淵監督が2026年8月10日に自身の引退について語った際には、妻から「いつまでやるの」と言われていることも明かしています。
長年にわたって高校野球の指導に打ち込んできた夫を、家庭から支えてきた存在といえそうです。
子供は?
馬淵史郎監督の子供として公に確認できるのが、長男の馬淵烈(まぶち・つよし)さんです。
烈さんも父と同じ野球指導者の道を歩んでいます。
- 名前:馬淵烈
- 出身:高知県
- 高校:明徳義塾高校
- 大学:拓殖大学
- 社会人:シティライト岡山
- 2015年:拓殖大学野球部コーチ就任
- 2020年:拓殖大学野球部監督就任
烈さんは明徳義塾高校時代、父・史郎監督のもとで主将兼エースを務めていました。
その後は父と同じ拓殖大学へ進学し、卒業後に社会人野球を経験。現在は母校・拓殖大学で指導者を務めています。
息子・馬淵烈との親子関係
馬淵史郎監督と烈さんは、現在でも頻繁に野球について話す関係だといいます。
拓殖大学の親子対談では、史郎監督が「普通の親子」と話す一方、烈さんは父とかなり頻繁に電話し、その内容のほとんどが野球だと明かしています。
ただし、烈さんが明徳義塾野球部へ入部した際には、父親というより監督と選手という厳しい関係だったようです。
家庭でも野球の話題が多かったと考えられ、現在は父と息子がそれぞれ高校野球、大学野球の監督を務める珍しい野球一家となっています。
娘はいる?
馬淵史郎監督については、娘がいるという情報もインターネット上で見られます。
しかし、妻の智子さんや長男・烈さんとは異なり、娘については信頼性の高い公表資料で詳しいプロフィールを確認できません。
そのため、現在公に確認できる子供としては長男・烈さんの情報が中心となっています。
家族構成は?
馬淵史郎監督の家族について、公表されている情報を整理すると次の通りです。
- 本人:馬淵史郎監督
- 妻:智子さん
- 長男:馬淵烈さん
特に長男の烈さんは父親と同じ野球指導者となっており、拓殖大学野球部の監督を務めています。
馬淵監督自身も明徳義塾の選手たちと長時間生活を共にしてきました。
大学のインタビューでは、自宅より野球部寮で過ごす時間の方が長いほどだと語っており、長年にわたり生活の中心に高校野球があったことがうかがえます。
「馬淵節」とは?
「馬淵節」とは特定の一つの言葉ではなく、馬淵史郎監督ならではの率直でユーモアを交えた発言を表す言葉です。
試合後のインタビューなどでは、相手チームへの評価や自軍の状態を歯切れよく語る一方、時には報道陣とのやりとりで辛口な発言をすることもあります。
こうした飾らない話し方や独特の言い回しが「馬淵節」と呼ばれています。
2025年のセンバツでも、対戦相手や報道に対する率直なコメントが「馬淵節」として注目されました。
また、2024年に母校で行った講演では、努力を続けることについて「棚からぼた餅」を例にした独特の表現で後輩たちを励ましています。
厳しい勝負の世界を長く経験してきたからこそ出てくる、現実的で分かりやすい言葉も馬淵監督の魅力の一つなのでしょう。
引退時期はいつ?
馬淵史郎監督は2026年8月10日、監督を続ける期間について「あと2年」ほどを一つの目安にしていることを明かしました。
この日、明徳義塾は夏の甲子園1回戦で日南学園に1対2でサヨナラ負け。
馬淵監督にとって春夏通算40度目となる甲子園でした。
試合後、自身の進退について気力と体力が続く限り続けたいという思いを示しながらも、後進を育てていることから、あと2年ほどでバトンタッチしたいとの考えを明かしています。
2028年が一つの節目?
「あと2年」とした理由には、現在の明徳義塾の1年生が関係しています。
馬淵監督は現在の1年生に有望な選手が多いとみており、この世代が3年生になる2028年の第100回選抜大会を一つの節目として考えていることを明かしました。
選手たちにも全国優勝を目指すことを伝えているといいます。
ただし、2028年での引退を正式に発表したわけではありません。
馬淵監督自身、実際に辞める年にはその年に公言するという趣旨の発言もしているため、現時点では「2028年ごろを一つの目安としている」という段階です。
引退後にやりたいことは?
監督を退いた後にやりたいことも、すでに考えているようです。
馬淵監督は日本各地を巡って温泉を楽しみながら、高校野球を外野から静かに見て回りたいという希望を明かしています。
1990年から明徳義塾の監督を務めてきただけに、引退すれば高校野球界にとって大きな節目となりそうです。
まとめ
今回は、馬淵史郎監督の経歴や学歴、妻や子供などの家族構成、「馬淵節」や引退時期についてまとめました。
- 愛媛県立三瓶高校から拓殖大学へ進学
- 社会人野球の監督を経て明徳義塾へ
- 1990年から明徳義塾高校野球部監督
- 2002年夏に甲子園初優勝
- 2023年にU-18日本代表を世界一へ導いた
- 妻は智子さん
- 長男・馬淵烈さんも野球指導者
- 率直でユーモアのある発言は「馬淵節」と呼ばれる
- 2026年8月に「あと2年」を引退の目安として明かした
- 2028年の第100回選抜大会が一つの節目になる可能性がある
70歳を迎えても甲子園のベンチに立ち続ける馬淵史郎監督。
引退を意識する発言が出た一方、現在の1年生と全国制覇を目指す考えも示しており、今後の明徳義塾の戦いと馬淵監督の進退が注目されます。


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