ラグビー選手として日本でプレーしてきたサイモニ・ブニランギ選手。
フィジー出身ですが、幼いころは両親ではなく祖母と伯祖母に育てられるなど、どのような生い立ちだったのかも気になるところです。
今回は、サイモニ・ブニランギ選手の生い立ちや家族構成、両親・兄弟、祖母との関係、フィジーから日本へ来るまでの経歴についてまとめます。
サイモニ・ブニランギの生い立ちは?
サイモニ・ブニランギ選手は、2000年6月13日にフィジーの首都スバで生まれました。
幼いころから両親と一緒に暮らしていたわけではなく、生後3か月ごろから祖母と、祖母の姉にあたる伯祖母のもとで育っています。
本人は過去のインタビューで、両親が忙しかったため、自分だけ祖母と伯祖母に育ててもらったと明かしていました。
他の兄弟は母親が育てていたそうなので、ブニランギ選手だけが幼少期から異なる生活環境だったことになります。
ただ、両親との関係が悪かったという情報はなく、家庭の事情から祖母たちが養育を担っていたとみられます。
ブニランギ選手は祖母と伯祖母の2人を、どちらも「お母さん」と呼んでいました。
それだけ幼少期から深い愛情を受けて育ってきたのでしょう。
ラグビーを始めたきっかけは?
ブニランギ選手がラグビーを始めたのは9歳ごろです。
子供のころからラグビーを見ることが好きで、いつか自分も偉大なラグビー選手になりたいと思ったことがきっかけでした。
ラグビーが国民的スポーツとして親しまれているフィジーで育ったことも、競技を始める大きなきっかけになったと考えられます。
祖母もブニランギ選手がラグビーをすることを応援しており、フィジーでプレーしていたころには試合にも足を運んでいました。
一方で、ラグビーだけをすればいいという考えではなく、学校の宿題をきちんとすることも求められていたそうです。
幼いころから競技と勉強の両方を大切にするよう教えられていたことが分かります。
サイモニ・ブニランギの家族構成は?
サイモニ・ブニランギ選手には両親と兄弟がおり、幼少期の生活を支えた祖母と伯祖母がいました。
本人が明かしている家族関係を整理すると、次のようになります。
- 父親
- 母親
- 兄弟
- 祖母
- 伯祖母(祖母の姉)
父親や母親、兄弟については名前や職業、兄弟の人数など詳しいプロフィールは公表されていません。
その中でもブニランギ選手がたびたび語っていたのが、幼いころから自分を育ててくれた祖母と伯祖母の存在でした。
両親はどんな人?
ブニランギ選手の父親と母親について、名前や職業などは明らかになっていません。
本人のインタビューから分かっているのは、両親が忙しかったため、生後3か月ごろから祖母と伯祖母に預けられたということです。
ブニランギ選手だけが祖母たちと生活し、他の兄弟は母親に育てられていました。
幼いころから両親と離れて暮らす生活ではありましたが、本人の話からは家族との確執などはうかがえません。
むしろ祖母や伯祖母を母親同然の存在として慕い、家族から支えられながら成長していったようです。
兄弟は何人?
サイモニ・ブニランギ選手には兄弟がいることが分かっています。
本人が「他の兄弟は母親が育てた」と話しているため、少なくとも兄弟がいることは確認できます。
ただし、兄弟が何人いるのか、兄や姉、弟、妹のどれにあたるのかなど詳しい情報は公表されていません。
兄弟の名前や現在の職業についても明らかになっていませんでした。
ブニランギ選手自身が家族のプライベートな情報を積極的に公表していなかったこともあり、両親や兄弟について分かっていることは限られています。
祖母との関係は?
ブニランギ選手にとって祖母は、母親と同じように自分を育ててくれた非常に大きな存在でした。
祖母と伯祖母は、まだ生後3か月だったブニランギ選手を引き取り、成長を見守ってきました。
本人によると祖母は落ち着いた優しい性格で、幼いころから「正しいことをして生きていく」という考え方を教えられてきたそうです。
ラグビーを始めてからも祖母は応援を続け、試合会場にも足を運んでいました。
そして、その関係の深さがよく分かるのが、日本への留学を決めたときのエピソードです。
日本行きを祖母が後押し
ブニランギ選手は、大東文化大学への進学を機に日本へ渡ることになります。
しかし、そこで悩んだのが祖母をフィジーに残していくことでした。
幼いころから母親同然に育ててもらった存在だけに、遠く離れた日本へ行くことに迷いがあったようです。
そんなブニランギ選手の背中を押したのが祖母でした。
祖母から自分自身の人生を楽しむよう励まされたことで、日本へ行く決断ができたと本人は振り返っています。
日本で新しい挑戦ができた背景には、祖母の後押しがあったことになります。
その後、2023年のインタビュー時点で祖母はすでに亡くなっていました。
ブニランギ選手はフィジーへ帰った際、祖母の姉である伯祖母のもとを訪れていることも明かしており、離れて暮らすようになってからも家族とのつながりを大切にしていました。
サイモニ・ブニランギの来日までの経歴は?
ブニランギ選手はフィジーでラグビーを始めた後、ニュージーランドへ渡り、その後日本の大東文化大学へ進学しています。
主なプロフィールは次の通りです。
- 名前:サイモニ・ヴニランギ(Saimoni Vunilagi)
- 生年月日:2000年6月13日
- 出身地:フィジー・スバ
- 身長:196cm
- 体重:117kg
- ポジション:LO(ロック)、No.8
- 高校:マッセイ高校
- 大学:大東文化大学
なお、身長・体重は所属時期によって公式プロフィールの数値に多少の違いがあります。
フィジー時代は?
ブニランギ選手はフィジーのスバで生まれ、9歳からラグビーを始めました。
ラグビーを見ることが好きだった少年が、自分も偉大な選手になりたいという思いから競技を始めています。
フィジーで経験を積んだ後は、ラグビー強豪国であるニュージーランドへ渡りました。
10代のうちから母国を離れてラグビーに取り組んでいたことになります。
マッセイ高校時代は?
ニュージーランドではマッセイ高校(Massey High School)に進みました。
ニュージーランドは世界でもトップクラスのラグビー文化を持つ国で、高校年代から高いレベルで競技が行われています。
ブニランギ選手にとって、フィジーとは異なる環境やラグビーに触れる経験となったと考えられます。
マッセイ高校を卒業した後、次の挑戦の場所として選んだのが日本でした。
日本へ来た理由は?
ブニランギ選手は、新しい環境で挑戦し、自分自身を成長させたいという思いから日本行きを決めています。
本人は、日本へ行けば良いチャンスがあると考えていたほか、新しい文化や新しいスタイルのラグビーを経験したかったと明かしています。
また、すでにフィジーから大東文化大学へ進んでいた知人選手が何人かいたことも大きかったようです。
知らない土地に一人で飛び込むという状況ではなく、知っている選手がいたことで安心して日本へ来ることができました。
さらに、そうした選手たちと競争することで、自分自身も成長したいという思いがあったといいます。
祖母からの後押しもあり、ブニランギ選手は日本で新たなラグビー人生をスタートさせました。
大東文化大学からリーグワンまでの経歴は?
来日後は大東文化大学へ進学し、その後は東京サントリーサンゴリアスでリーグワンの舞台に立ちました。
2019年に大東文化大学へ入学し、外国語学部に在籍しながらラグビー部でプレー。
LOやNo.8を務め、大型フォワードとして大学ラグビーで経験を積みました。
大学に入って日本のトップレベルのラグビーを見るようになると、ブニランギ選手は日本でプロとしてプレーすることを目標にするようになります。
そして大学卒業後の2023年、東京サントリーサンゴリアスへ加入しました。
- 2019年:大東文化大学へ進学
- 2023年:東京サントリーサンゴリアス加入
- 2023年12月:リーグワン公式戦初出場
- 2026年:東京サントリーサンゴリアス退団
- 2026-27シーズン:九州電力キューデンヴォルテクスへ移籍
東京サントリーサンゴリアスには3シーズン在籍。
退団時には、チームで選手として多くのことを学び、人間としても成長できたと感謝を伝えていました。
フィジーでラグビーを始め、ニュージーランド、日本と環境を変えながら挑戦を続けてきた選手だったことが分かります。
まとめ
今回は、サイモニ・ブニランギ選手の生い立ちや家族構成、両親・兄弟、祖母との関係、来日までの経歴についてまとめました。
- 2000年6月13日にフィジー・スバで生まれた
- 生後3か月ごろから祖母と伯祖母に育てられた
- 他の兄弟は母親が育てていた
- 両親や兄弟の名前、職業などは公表されていない
- 祖母と伯祖母をともに「お母さん」と呼んでいた
- 9歳ごろからラグビーを始めた
- ニュージーランドのマッセイ高校へ進学
- 大東文化大学への進学を機に来日した
- 日本行きを決める際には祖母が背中を押していた
- 大学卒業後は東京サントリーサンゴリアスでプレーした
生後3か月ごろから自分を育ててくれた祖母の存在は、ブニランギ選手の考え方や人生に大きな影響を与えていたようです。
フィジーからニュージーランド、そして日本へと渡り、新しい環境に挑戦し続けてきたブニランギ選手。
そのラグビー人生の背景には、家族の支えがありました。


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