サイモニ・ブニランギに妻や子供はいる?家族構成や生い立ち・経歴と来日理由も

ラグビー選手のサイモニ・ブニランギ選手について、妻や子供など家族について知りたいという声が増えています。

ブニランギ選手はフィジーで生まれ、ニュージーランドを経て日本へ渡り、大学・リーグワンで活躍してきました。

今回は、サイモニ・ブニランギ選手の妻や子供、家族構成、生い立ち、経歴、日本へ来た理由についてまとめます。

目次

サイモニ・ブニランギに妻や子供はいる?

サイモニ・ブニランギ選手について、結婚して妻がいたのか、子供がいたのかは公表されていません。

これまでに公開された選手プロフィールや本人インタビューなどを確認しても、結婚や妻、子供について言及した情報は確認できませんでした。

そのため、

  • 独身だった
  • 妻はいなかった
  • 子供はいなかった

と断定することもできません。

プライベートについて積極的に公表する選手ではなかった可能性もあり、家族がいたとしても公にしていなかったことは十分に考えられます。

2026年8月に亡くなった際にも、所属チームは「ご遺族」に哀悼の意を示していますが、妻や子供といった具体的な続柄までは明らかにしていません。

また、葬儀などについてはフィジーにいる遺族と連絡を取りながら決めていくと報じられています。

現段階では、妻や子供については「公表された情報は確認できない」というのが正確です。

サイモニ・ブニランギの家族構成は?

サイモニ・ブニランギ選手には両親や兄弟がいますが、幼いころに特に大きな影響を受けたのが祖母と祖母の姉にあたる伯祖母でした。

本人は過去のインタビューで、両親が忙しかったため、他の兄弟とは少し違った環境で育ったことを明かしています。

公表されている範囲から家族を整理すると、

  • 父親
  • 母親
  • 兄弟
  • 祖母
  • 伯祖母(祖母の姉)

がいることが分かっています。

父親や母親、兄弟の名前や詳しい職業、兄弟が何人いるのかについては公表されていません。

両親や兄弟は?

ブニランギ選手は、両親について詳しいプロフィールを明かしていません。

一方で本人は、両親が忙しかったため、自分だけが生後3か月ごろから祖母と伯祖母に育てられたと話しています。

他の兄弟については母親が育てていたそうです。

つまり、両親と離れて暮らしていたからといって家族関係に問題があったわけではなく、家庭の事情から祖母たちが子育てを担っていたとみられます。

また、ブニランギ選手は、家族の中には医師や看護師もいると話していました。

子供のころには獣医に憧れていたそうで、身近に医療関係者がいたことも影響していたのかもしれません。

祖母との関係は?

ブニランギ選手の生き方に大きな影響を与えたのが祖母と伯祖母でした。

本人は、生後3か月ごろからこの2人に育てられ、祖母も伯祖母も「お母さん」と呼んでいたと明かしています。

祖母は穏やかで優しい人物だったそうで、幼いころから「正しいことをして生きていく」という考え方を教えられてきました。

9歳でラグビーを始めてからも、祖母はブニランギ選手を応援。

フィジーでプレーしていたころには試合にも足を運び、「学校の宿題をしっかりやっていればラグビーをしていい」と背中を押してくれたそうです。

競技だけではなく、人としての土台を作ってくれた存在だったことが伝わってきます。

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サイモニ・ブニランギの生い立ちは?

サイモニ・ブニランギ選手は、2000年6月13日にフィジーのスバで生まれました。

幼少期は祖母と伯祖母のもとで育ち、9歳ごろからラグビーを始めています。

ブニランギ選手自身、子供のころからラグビーを見ることが好きで、「いつか偉大なラグビー選手になりたい」と考えるようになったことが競技を始めたきっかけだったと明かしています。

  • 2000年:フィジー・スバで誕生
  • 生後3か月ごろ:祖母と伯祖母のもとで育つ
  • 9歳ごろ:ラグビーを始める
  • フィジーでラグビーを続ける
  • ニュージーランドへ渡る
  • マッセイ高校でプレー
  • 大東文化大学進学を機に日本へ

高校時代にはフィジーを離れ、ニュージーランドのマッセイ高校でプレーしています。

10代のころから母国を離れ、異なる文化の中でラグビーを続けてきたことになります。

その経験も、日本への留学を決断するうえでプラスに働いたのかもしれません。

サイモニ・ブニランギの経歴は?

ブニランギ選手は、ニュージーランドのマッセイ高校から大東文化大学へ進学し、卒業後は東京サントリーサンゴリアスでプレーしました。

  • 名前:サイモニ・ヴニランギ(Saimoni Vunilagi)
  • 生年月日:2000年6月13日
  • 年齢:26歳
  • 出身地:フィジー・スバ
  • 身長:196cm
  • 体重:117kg
  • ポジション:LO(ロック)、No.8
  • 高校:マッセイ高校
  • 大学:大東文化大学
  • 前所属:東京サントリーサンゴリアス
  • 所属:九州電力キューデンヴォルテクス

なお、身長や体重は時期によってプロフィール上の数値に若干の違いがあります。

高校時代は?

ブニランギ選手はフィジーでラグビーを始めた後、ニュージーランドへ渡っています。

ラグビー歴としてはフィジーの学校などでプレーした後、2017年から2018年にかけてニュージーランドのマッセイ高校に在籍していました。

ニュージーランドはラグビーが非常に盛んな国として知られています。

母国フィジーだけではなく、10代でニュージーランドのラグビーにも触れたことは、その後のプレースタイルにも大きな影響を与えたと考えられます。

大東文化大学時代は?

高校卒業後は日本へ渡り、2019年に大東文化大学へ進学しました。

外国語学部に所属しながらラグビー部でプレーし、LOやNo.8として活躍。

身長190cmを大きく超える体格とフィジー出身選手らしい身体能力を生かし、大学時代から将来を期待される大型フォワードでした。

大学で日本のラグビーに触れたことで、ブニランギ選手の将来の目標も変わっていきます。

大学1年を終えるころには、日本のトップレベルでプレーする選手たちを見て、自分も日本でラグビーを続けたいと考えるようになったそうです。

東京サントリーサンゴリアス時代は?

大学卒業後の2023年、東京サントリーサンゴリアスへ加入しました。

2023年12月10日のクボタスピアーズ船橋・東京ベイ戦でリーグワン初出場。

大型フォワードとしてロックやNo.8を務め、3シーズンにわたってチームに所属しました。

2026年6月には退団が発表され、本人はサントリーで選手として多くのことを学び、人間としても成長できたと感謝を伝えていました。

九州電力キューデンヴォルテクス時代は?

東京サントリーサンゴリアス退団後、2026-27シーズンから九州電力キューデンヴォルテクスへ移籍しました。

2026年7月23日にチームへ合流したばかりで、新シーズンに向けて練習を始めていました。

しかし8月3日のチーム練習後に熱中症の症状が見られ、病院へ搬送。

治療が続けられましたが、8月7日午前に26歳で亡くなりました。

新しいチームに合流してからわずかな期間での突然の訃報となりました。

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サイモニ・ブニランギの来日理由は?

ブニランギ選手が日本へ来た大きな理由は、新しい環境で挑戦し、ラグビー選手として成長したかったからです。

本人は過去のインタビューで、日本へ来ることで良いチャンスがあると感じていたことや、これまでとは違う文化やラグビーのスタイルを経験してみたかったと明かしています。

また、すでにフィジーから大東文化大学へ進学していた知り合いの選手が複数いたことも、日本行きを決断しやすくしたようです。

知っている選手たちと競争しながら、自分自身も成長したいという思いがありました。

祖母は来日をどう思っていた?

日本へ行くことを決める際、ブニランギ選手には一つ大きな迷いがありました。

幼いころから自分を育ててくれた祖母をフィジーに残すことです。

ブニランギ選手にとって祖母は母親同然の存在だったため、遠く離れた日本へ行くことを悩んでいました。

そんなブニランギ選手の背中を押したのも祖母でした。

祖母から自分自身の人生を楽しむよう励まされたことで、日本へ行く決心がついたと本人は振り返っています。

新しい文化、新しいラグビーへの挑戦というだけでなく、育ててくれた祖母の応援を受けて始まった日本での生活だったことが分かります。

その後、ブニランギ選手が日本でプロ選手となるころには祖母は亡くなっていました。

それでもフィジーへ帰った際には祖母の姉である伯祖母のもとを訪れていたそうで、家族を大切にしていた人物だったことがうかがえます。

まとめ

今回は、サイモニ・ブニランギ選手の妻や子供、家族構成、生い立ち、経歴、来日理由についてまとめました。

  • 妻や子供について公表された情報は確認できない
  • フィジー・スバ出身
  • 生後3か月ごろから祖母と伯祖母に育てられた
  • 他の兄弟は母親と暮らしていた
  • 9歳ごろからラグビーを始めた
  • ニュージーランドのマッセイ高校へ進学
  • 大東文化大学進学を機に来日
  • 2023年に東京サントリーサンゴリアスへ加入
  • 2026年に九州電力キューデンヴォルテクスへ移籍
  • 新しい文化やラグビーに挑戦し成長するため日本を選んだ

幼いころから母親代わりとなって育ててくれた祖母の存在は、ブニランギ選手の人生にとって非常に大きなものだったようです。

祖母に背中を押されて日本へ渡り、大学ラグビーからリーグワンの舞台へと進んだブニランギ選手。

26歳という若さで亡くなったことが、改めて惜しまれます。心よりご冥福をお祈りいたします。

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