「れいわ新選組」から党名を変更した「いのちの党」で、新代表に就任した山本譲司氏。
過去に国会議員を務めた一方、服役や福祉施設での勤務、がん闘病など、異例ともいえる経歴を歩んできました。
山本譲司氏の経歴や学歴、家族、新しい党名に込められた意味を整理します。
山本譲司は何者?いのちの党の新代表
山本譲司氏は、元衆議院議員、作家、福祉活動家としての経験を持ち、2026年に国政復帰した政治家です。
2026年7月31日に行われたれいわ新選組の代表選挙で新代表に選ばれ、同年8月から「いのちの党」の代表を務めています。
- 名前:山本譲司
- 活動名:山本ジョージ
- 読み方:やまもと・じょうじ
- 生年月日:1962年9月20日
- 年齢:63歳(2026年8月現在)
- 出身:北海道札幌市生まれ、佐賀県育ち
- 所属:いのちの党
- 役職:党代表、選挙対策委員長、衆議院議員
- 主な活動分野:福祉政策、刑事政策、更生支援、生活困窮者支援
政治活動では、本名の「山本譲司」だけでなく、カタカナを使った「山本ジョージ」の名前を使用しています。
同じ党を立ち上げた山本太郎氏と名字が同じことから、区別しやすくする意味もあるとみられます。
ただ、山本譲司氏が注目されている最大の理由は、単に新代表になったからではありません。
政治家として失敗し、刑務所で服役した後、福祉の現場に入り、再び国会へ戻ってきたという波乱の経歴を持っているためです。
山本譲司の経歴
山本譲司氏は、学生時代から貧困や人権問題に関わり、政治家、受刑者、福祉施設職員、作家という異なる立場を経験してきました。
菅直人の秘書から26歳で東京都議に
山本譲司氏は、早稲田大学在学中から市民運動に参加していました。
ホームレス問題や発展途上国の貧困問題に取り組み、フィリピンのスモーキーマウンテンでストリートチルドレンの支援活動にも関わっています。
大学卒業後は、後に内閣総理大臣となる菅直人氏の政策スタッフ、公設秘書を務めました。
1989年には「消費税反対」を掲げ、東京都議会議員選挙の立川市選挙区に立候補。
当時26歳という若さで初当選し、東京都議を2期務めています。
衆議院議員に当選するも秘書給与詐取事件で服役
1996年の衆議院議員選挙では、当時の民主党から東京21区に立候補し、初当選しました。
2000年の選挙でも再選され、民主党東京都連の幹事長や選挙対策委員長も務めています。
しかし、2期目の途中で秘書給与詐取事件が発覚。
2001年に懲役1年6か月の実刑判決を受け、山本譲司氏は控訴せずに服役しました。
政治家による不祥事として大きな批判を受け、国会議員としての立場も失うことになります。
一方で、この服役経験が、その後の山本譲司氏の人生を大きく変えることになりました。
刑務所で障害のある受刑者の世話係を経験
収監先の刑務所で山本譲司氏が担当したのは、障害や認知症のある受刑者の世話でした。
山本譲司氏は、刑務所の中に知的障害者や高齢者、社会で居場所を失った人が数多くいる現実に衝撃を受けたといいます。
罪を犯したから刑務所にいるというだけではなく、社会の中で必要な福祉や支援を受けられず、結果的に刑務所へたどり着いた人もいました。
出所後は、自らの経験を記した著書『獄窓記』を発表。
同作は新潮ドキュメント賞を受賞し、後にドラマ化もされました。
過去の事件を消すことはできませんが、山本譲司氏は事件と服役を隠すのではなく、自身の過ちと刑務所の現実を社会へ伝える道を選んだのです。
福祉施設で勤務し出所者の社会復帰を支援
出所後の山本譲司氏は、東京都内にある知的障害者施設で支援スタッフとして働きました。
作家活動と並行しながら、刑務所を出た人や障害のある人、生活に困窮する人の支援にも携わっています。
これまでに社会復帰や生活支援に関わった出所者は、2000人以上とされています。
さらに、刑務所と福祉をつなぐ「地域生活定着支援センター」の設置や、矯正施設への福祉専門職の配置などを求め、行政への政策提言も続けてきました。
政治家としての肩書を失った後も、福祉と刑事政策の現場から社会を変えようとしてきたことが、山本譲司氏の大きな特徴です。
ステージ4のがんを克服して国政復帰
山本譲司氏は2022年、がんを告知されて入院しています。
本人は代表選の演説で、ステージ4のがんで生死の境をさまよった経験があることを明かしました。
治療後はがんを克服し、2025年にはれいわ新選組から国政選挙に挑戦。
2026年2月の衆議院議員選挙で比例南関東ブロックから当選し、約25年ぶりに国政へ復帰しました。
その後、党幹事長を経て、2026年7月31日の代表選挙で過半数の票を獲得。
山本太郎氏の後任として、新代表に選ばれています。
山本譲司の学歴
山本譲司氏は、佐賀県内の高校を卒業後、早稲田大学教育学部へ進学しています。
- 1981年3月:佐賀県立三養基高等学校卒業
- 1985年3月:早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業
現在の専攻名では、社会科公共市民学専修にあたります。
大学在学中から国内外の貧困問題に関わり、卒業後すぐに政治の世界へ入っているため、社会問題への関心は学生時代から強かったことが分かります。
政治家として活動するだけでなく、現場へ入り、当事者の声を聞く姿勢は、この頃から形成されていたのかもしれません。
山本譲司の家族は?妻や子供を調査
山本譲司氏には少なくとも妻がいることが、過去の本人インタビューから確認されています。
2007年のインタビューでは、刑務所に収監されていた間、妻と手紙で詳しくやり取りしていたことを明かしていました。
この手紙は、後に『獄窓記』を書く際の基礎資料にもなったといいます。
ただし、妻の名前や年齢、職業、顔画像などは公表されていません。
現在の婚姻状況についても、本人の公式プロフィールでは詳しく触れられていないため、断定は避ける必要があります。
また、子供の有無についても、公式に確認できる情報は見つかっていません。
山本譲司氏は自身の服役経験や病気については包み隠さず語る一方、家族のプライバシーについては表に出さない方針なのかもしれません。
れいわ新選組が「いのちの党」に党名変更した理由
党名変更の大きな理由は、山本太郎氏の退任を受け、個人の知名度に依存した党から新しい組織へ生まれ変わるためです。
れいわ新選組を立ち上げた山本太郎氏は2026年7月、健康問題や道路交通法違反への対応などを理由に、代表辞任と政界引退の意向を表明しました。
これに伴い、当時の執行部も事実上解任され、新代表を選ぶ代表選挙が行われています。
山本譲司氏は代表選で、山本太郎氏一人に権限が集中する体制を見直し、地方議員や支持者も意思決定に参加できる組織へ改革すると訴えていました。
そのため、党名変更には単なるイメージチェンジではなく、従来の運営体制から離れて再出発する意味が込められていると考えられます。
なぜ「いのちの党」という名前になった?
れいわ新選組は2026年8月6日、臨時総会などでの協議を経て、新しい党名を「いのちの党」、略称を「いのち」とすると発表しました。
ただし、党の発表では「いのちの党」という名称に決まった詳しい理由までは説明されていません。
一方、山本譲司氏は代表選への立候補時から、声を上げにくい人に寄り添い、「いのちを守る政治」を追求すると訴えていました。
山本譲司氏自身も、服役後に障害者や高齢者の支援に入り、さらにステージ4のがんから生還した経験を持っています。
これまで党が掲げてきた「生きているだけで価値がある」「何度でもやり直せる社会」という理念とも重なります。
そのため「いのちの党」という名前には、経済政策だけでなく、医療、介護、福祉、平和など、人が生きるために必要なものを最優先する姿勢が表れているとみられます。
党名が変わっても基本政策は引き継ぐ方針
党名が変わったことで、れいわ新選組の政策もすべて変わるのか気になるところです。
山本譲司氏は代表選で、消費税の減税や医療・介護分野への投資など、従来の基本路線は引き継ぐ考えを示しています。
2026年8月5日に決定した新体制は、次の通りです。
- 代表・選挙対策委員長:山本ジョージ
- 共同代表:天畠大輔
- 副代表:伊勢崎賢治、奥田ふみよ、やはた愛
- 幹事長:高井たかし
山本太郎氏の政策を全面的に否定するのではなく、これまでの理念を残しながら、党の意思決定や運営方法を変えていく方針とみられます。
まとめ
今回は、いのちの党の新代表・山本譲司氏の経歴や学歴、家族、党名変更の理由を紹介しました。
- 山本譲司氏は元東京都議、元衆議院議員で、2026年に国政復帰した
- 秘書給与詐取事件で実刑判決を受け、服役した経験がある
- 出所後は福祉施設で働き、出所者や障害者の支援を続けてきた
- 佐賀県立三養基高校、早稲田大学教育学部を卒業している
- 過去のインタビューから妻の存在は確認できるが、子供などの詳細は公表されていない
- 党名変更には山本太郎氏に依存した体制からの脱却と、組織を再出発させる意味がある
- 「いのちの党」には、人の命や暮らしを守る政治を重視する姿勢が表れているとみられる
政治家としての失敗、服役、福祉の現場、がん闘病を経験した山本譲司氏。
過去を背負いながら再び政治の中心へ戻った新代表が、「いのち」という言葉を実際の政策へどう結び付けていくのか注目されます。


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