2024年4月、北海道旭川市で当時17歳の女子高校生が死亡した事件。
殺人などの罪に問われた内田梨瑚受刑者とは、事件を起こす前までどのような生活を送っていたのでしょうか。
生い立ちや家族構成、家庭環境、経歴・学歴から事件とその後までをまとめます。
内田梨瑚の生い立ちは?
内田梨瑚受刑者は、北海道旭川市で育ちました。
2026年の裁判では、これまで断片的に報じられていた学生時代の様子について、母親からも具体的な証言が出ています。
生年月日は2002年10月8日で、事件が起きた2024年4月当時は21歳でした。
幼いころについて母親は、明るく陽気で人懐っこい子供だったと振り返っています。
祖父母のことも好きで、よく遊びに行っていたそうです。
後に大きな事件を起こした人物というイメージからすると、幼少期から周囲とのトラブルばかりだったようにも思えます。
しかし、少なくとも母親が法廷で語った幼少期の姿は、それとはかなり異なるものでした。
中学生になるとバスケットボール部に所属し、キャプテンを務めています。
母親によると「よくも悪くも目立つ子」で、いつも明るく元気だったため、学校でも存在感のある生徒だったようです。
高校時代についても男女を問わず友人が多かったと証言されています。
内田梨瑚の家族構成や家庭環境は?
内田梨瑚受刑者の家族については、2026年の裁判で母親が証人として出廷したことで、それまでより詳しい家庭内の様子が分かってきました。
事件当時、内田受刑者は旭川市内で両親と同居していたことが公判資料から明らかになっています。
父親と母親と暮らしていた
確認できている家族は父親と母親です。
母親は内田受刑者について幼いころからの様子を語っており、裁判官から親子関係を尋ねられた際には、仲が良かったという趣旨の回答をしています。
一方、ネット上では兄弟に関するさまざまな情報も見られます。
ただ、主要な報道や2026年の公判内容では兄弟構成まで明確に確認できないため、父親・母親以外については断定できません。
両親が交友関係を心配することもあった
家庭環境について注目されるのが、内田受刑者が20歳前後になったころの変化です。
高校卒業後、仕事や交友関係が広がるにつれ、母親もすべてを把握できなくなっていったといいます。
母親の証言では、内田受刑者が20歳ごろ精神的に不安定になっていた時期に、暴力団関係者から金銭の返済を求める電話がかかってきたこともありました。
その際には父親と母親が対応して金銭を返し、本人に今後は関わらないよう話したとされています。
こうした公判内容を見る限り、両親が本人の行動に無関心だったという状況ではありません。
むしろ成人後に広がっていった交友関係に対して、家族が介入しようとした場面もあったことが分かります。
そのため、事件の背景を単純に「家庭環境に問題があったから」と結びつけることはできません。
内田梨瑚の学歴は?
内田梨瑚受刑者は、旭川市内で学生時代を過ごしていたとみられています。
中学ではバスケットボール部のキャプテンを務め、高校にも進学しています。
ネット上では中学校や高校について特定する情報も出ていますが、主要報道では学校名は公式に確認されていません。
一方、2026年の裁判で示された捜査報告書では、内田受刑者の学歴について「高卒」とされています。
そのため、
- 北海道旭川市で育つ
- 中学校でバスケットボール部のキャプテンを務める
- 高校へ進学
- 高校を卒業
という流れまでは確認できます。
過去には高校を中退したとの情報もネット上にありましたが、公判で示された内容を踏まえると、高校卒業とするのが現在確認できる情報に沿っています。
内田梨瑚の経歴は?
高校を卒業した後は、一つの仕事を続けるのではなく、いくつかの職業を経験していました。
公判では、
- 親戚の土木工事会社の作業員
- 飲食業
- 化粧品販売会社の美容スタッフ
などの仕事をしていたことが明らかになっています。
事件当時の捜査報告書では、化粧品店の販売員をしていたことも示されました。
ただ、逮捕時には「無職」と報じられています。
学生時代には友人が多かったという一方、成人後には母親でも把握できないほど交友関係が広がっていきました。
2022年ごろには暴力団関係者とのつながりもあったことが公判で明らかになっています。
学生時代の明るく社交的だった姿から、成人後に人間関係や生活が大きく変化していった様子がうかがえます。
旭川女子高生殺害事件は何があった?
事件が起きたのは2024年4月18日夜から19日未明にかけてです。
きっかけになったのはSNSへの画像投稿でした。
当時17歳だった女子高校生が、内田受刑者が写った画像をInstagramのストーリーズに無断で投稿したことを内田受刑者が知ります。
内田受刑者は女子高校生のアカウントを特定し、連絡を取りました。
そこから金銭を巡るやり取りに発展します。
女子高校生は留萌市内の道の駅に呼び出され、その後、車に乗せられて旭川方面へ移動しました。
この間に暴行などを受け、監禁状態に置かれたとされています。
最終的に一行は、旭川市神居古潭にある神居大橋へ向かいました。
神居大橋で女子高校生が死亡
女子高校生は神居大橋で衣服を脱ぐよう要求され、欄干付近まで追い込まれました。
裁判では内田受刑者が殺意や直接橋から落としたことを否定。
一方、共犯者は内田受刑者が女子高校生の背中を押したという趣旨の証言をしており、両者の説明は大きく食い違いました。
女子高校生は石狩川に転落し死亡。
遺体は事件から約1か月後の2024年5月21日、神居大橋から約63キロ下流で発見されました。
内田梨瑚には懲役27年の判決
内田梨瑚受刑者の裁判員裁判は、2026年5月から旭川地方裁判所で行われました。
内田受刑者は監禁については争わなかったものの、殺人については一貫して殺意や直接の実行行為を否定しています。
しかし旭川地裁は2026年6月22日、殺人、不同意わいせつ致死、監禁の罪を認定。
検察側の求刑通り、懲役27年の判決を言い渡しました。
その後、控訴期限だった7月6日までに弁護側、検察側とも控訴しませんでした。
弁護側によると、内田受刑者自身が判決に納得し、控訴しないことを決めたとされています。
これにより2026年7月7日、懲役27年の判決が確定しました。
判決公判では男が法廷に乱入
内田梨瑚受刑者への判決公判では、思わぬ出来事も起きています。
2026年6月22日、懲役27年の判決が言い渡された際、男が旭川地裁の法廷に侵入しました。
住所不定・配達業の村山哲志被告です。
村山被告は判決に不満を示す言葉を大声で発しながら裁判官席へ詰め寄り、裁判を中断させました。
その後、威力業務妨害と建造物侵入の罪で起訴されています。
裁判では事前に裁判所を下見していたことなども明らかになり、検察側は拘禁刑2年を求刑しました。
そして2026年9月29日、旭川地裁は村山被告に拘禁刑2年、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡しています。
裁判官は、誤った正義感から暴力による制裁を加えようとした行為だったと指摘しました。
内田受刑者への判決そのものだけでなく、その法廷で起きた異例の出来事も大きな注目を集めることになりました。
まとめ
内田梨瑚受刑者は北海道旭川市で育ち、中学ではバスケットボール部のキャプテンを務めるなど、学生時代は明るく目立つ存在だったと母親が証言しています。
高校卒業後は土木工事会社や飲食業、化粧品販売など複数の仕事を経験。
成人後には交友関係が大きく広がり、両親が心配して介入する場面もあったことが裁判で明らかになりました。
2024年4月に起きた旭川女子高校生殺害事件では殺人などの罪に問われ、2026年6月に懲役27年の判決。
双方が控訴せず、同年7月に刑が確定しています。
さらに判決公判では男が法廷に乱入する事件まで起こり、その男にも2026年9月29日に有罪判決が言い渡されました。
幼少期や学生時代の姿と、その後に起きた事件の間には大きな隔たりがあります。
裁判を通じて家庭や学生時代について新たな事実が明らかになった一方、なぜここまで重大な事件に至ったのかについては、単純に一つの理由だけで説明できるものではありません。


コメント