菰田陽生の父親や母親・兄弟など家族構成は?身長・経歴や山梨学院での実績も

2026年のドラフト候補として注目を集めている山梨学院高校の菰田陽生(こもだ・はるき)選手。

195cmを超える恵まれた体格から、「両親も背が高いの?」「兄弟も野球選手?」と家族について気になる人も多いようです。

父親や母親・兄などの家族構成から、身長や経歴、山梨学院で残してきた実績まで詳しく見ていきます。

目次

菰田陽生の父親や母親・兄弟など家族構成は?

菰田陽生選手は、父親・母親・兄・本人の4人家族です。

続柄名前人物・経歴
父親菰田英典さん看護師・元高校球児
母親菰田理恵さん介護福祉士・元バレーボール部
兄菰田朝陽さん上武大学野球部の外野手
本人菰田陽生さん山梨学院高校野球部

父親は野球、母親はバレーボール、兄も大学野球を続けており、家族全体がスポーツと縁の深い家庭です。

菰田選手自身も「宝物」に家族を挙げており、離れて暮らすようになってからも家族との関係は良好だと話しています。

父親・菰田英典さんは看護師で元高校球児

父親の菰田英典さんは看護師として働いています。

愛知県の星城高校時代には硬式野球部に所属し、投手のほか外野手や一塁手としてもプレーしていました。

高校卒業後、趣味だったサーフィンを楽しめる環境を求めて千葉県御宿町へ移り住み、看護師として働くようになったとされています。

息子たちが野球を始めてからは、父親として全面的に競技生活を支えてきました。

兄弟が中学時代に千葉西リトルシニアへ所属すると、御宿町から佐倉市にある練習場まで片道約1時間半かけて送迎していたそうです。

週末は午前5時前に自宅を出発することもあり、土日に休みを取れるよう職場まで替えたというエピソードもあります。

自宅でも陽生選手の体幹トレーニングをサポートし、打撃についても父親から教わってきました。

陽生選手も父親から普段からバッティングを教えてもらっていることを明かしており、野球人生に大きな影響を与えた存在といえそうです。

母親・菰田理恵さんは介護福祉士

母親の菰田理恵さんは介護福祉士として働いています。

高校時代にはバレーボール部でプレーしており、父親と同じくスポーツ経験者です。

母親の実家は千葉県大多喜町の米農家で、陽生選手は幼い頃から兄と一緒に田植えや稲刈りを手伝っていたといいます。

御宿町の海や大多喜町の野山、田んぼなどで体を動かしながら育ったことも、現在の大きな体や身体能力につながっているのかもしれません。

意外なのは、195cmを超える陽生選手が牛乳を苦手としていることです。

その一方でご飯はよく食べており、現在では1食に米2~3合を食べることもあるほどの食欲だと伝えられています。

兄・菰田朝陽さんも大学野球選手

兄の菰田朝陽(こもだ・あさひ)さんも野球選手です。

陽生選手より3学年上で、拓大紅陵高校を経て上武大学野球部へ進み、外野手としてプレーしています。

朝陽さんは身長174cmほどながら、50メートル走5秒台という俊足を生かしたプレーが持ち味です。

195cmを超える大型選手の陽生選手とは、同じ野球選手でも特徴が大きく異なります。

現在は兄弟とも寮生活のため、直接会う機会は多くないようですが、試合前だけでなく普段からLINEで頻繁に連絡を取っているそうです。

帰省した際には家族全員で過ごしており、兄弟関係も良好なことがうかがえます。

菰田陽生の身長は?両親や兄と比較

菰田陽生選手の身長は195.3cmで、体重は約102kgです。

高校生としてはもちろん、プロ野球選手と比較してもかなり大柄な体格です。

家族身長
父親・英典さん約175cm
母親・理恵さん約167cm
兄・朝陽さん約174cm
菰田陽生さん195.3cm

両親や兄も極端に高身長というわけではなく、家族の中で陽生選手だけが飛び抜けています。

父親も息子の体格について驚きを込めて語ったことがあり、生まれた頃から手足が長かったそうです。

出生時の体重は約4560gと大きく、小学校卒業時にはすでに180cm近くまで成長していました。

高校入学後も身長は伸び続け、3年生となった2026年には195.3cmまで成長しています。

足のサイズも32cmほどあり、服も5Lから6Lサイズになるなど、そのスケールは数字からも伝わってきます。

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菰田陽生の経歴やプロフィール

菰田陽生選手は千葉県御宿町出身で、小学生の頃から野球を続けてきました。

項目内容
名前菰田陽生(こもだ・はるき)
生年月日2008年12月21日
出身地千葉県御宿町
身長195.3cm
体重約102kg
投打右投げ右打ち
小学校御宿町立御宿小学校
中学校御宿町立御宿中学校
中学時代千葉西リトルシニア
高校山梨学院高校
最高球速152km/h
高校通算本塁打39本

小学1年生の頃に野球を始め、九十九里リトルリーグでもプレーしました。

九十九里リトルでは全国大会優勝も経験しています。

御宿中学校時代には千葉西リトルシニアに所属し、中学3年時にはジャイアンツカップにも出場しました。

その後は地元千葉県を離れ、強豪の山梨学院高校へ進学しています。

高校では投手だけでなく一塁手や三塁手としてもプレー。

投げては最速152km/h、打っては高校通算39本塁打を記録し、「二刀流」としてプロから注目される存在になりました。

山梨学院ではどんな実績を残した?

菰田陽生選手は山梨学院高校に入学すると、1年春からベンチ入りしています。

恵まれた体格だけでなく、投打の両方で結果を残し、早い段階から将来を期待されてきました。

2年春のセンバツで最速152kmを記録

大きく注目を集めるきっかけになったのが、2025年春のセンバツです。

西日本短大付との試合でリリーフ登板すると、3イニングを無安打無失点に抑えました。

この試合では最速152km/hを記録しています。

当時2年生だった菰田選手の152km/hは、センバツに出場した2年生投手としてもトップクラスの数字でした。

194cm前後の長身から投げ込む速球によって、一気に全国的な注目を集めることになります。

2年夏は山梨学院初の甲子園ベスト4

2025年夏の甲子園では、山梨学院のエースとしてさらに存在感を高めました。

聖光学院、岡山学芸館、京都国際などを相手に先発し、チームの勝利に貢献しています。

特に岡山学芸館戦では、5回2/3を投げて1安打無失点。

打っても3安打3打点を記録するなど、投打で強烈なインパクトを残しました。

準々決勝の京都国際戦でも投打で活躍し、山梨学院は夏の甲子園で学校史上初となるベスト4へ進出しました。

準決勝では沖縄尚学に4対5で敗れましたが、2年生ながらエースとして全国4強入りを経験しています。

3年春のセンバツでは甲子園初本塁打

2026年春には主将としてセンバツに出場しました。

初戦の長崎日大戦では、第1打席から左翼席へ本塁打を放ち、甲子園初アーチを記録しています。

一方で、この試合の一塁守備中に打者走者と接触し、左手首を負傷。

検査の結果、左橈骨遠位端骨折と診断され、その後の試合を欠場することになりました。

ドラフトイヤーの春に思わぬけがを経験しましたが、リハビリを経て夏の山梨大会で復帰しています。

高校最後の夏は山梨大会準決勝で敗退

2026年夏は4季連続となる甲子園出場を目指しました。

山梨大会では本塁打も放ち、投手としてもマウンドに復帰しています。

しかし、準決勝の帝京三戦で延長10回タイブレークの末に4対5で敗戦。

高校最後の夏は甲子園出場には届きませんでした。

それでも、高校3年間で最速152km/h、高校通算39本塁打という数字を残し、甲子園でも投打の両方で実力を示しました。

2026年9月にはプロ志望届を提出し、ドラフト候補として注目を集めています。

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菰田陽生が二刀流として注目される理由

菰田陽生選手の大きな魅力は、195cmを超える体格だけではありません。

投手として最速152km/hの直球を投げながら、打者としても高校通算39本塁打を放つ長打力を備えています。

50メートル走は6秒4、遠投は100メートル前後とされ、大型選手ながら運動能力も高い選手です。

憧れの選手には大谷翔平選手を挙げており、自身も投打の両方で結果を残してきました。

山梨学院ではエース、主軸、主将という複数の役割を経験しました。

父親から教わった打撃、家族に支えられて培った体、甲子園での経験が現在の菰田選手につながっています。

父親・母親・兄とスポーツに縁のある家庭で育ち、幼い頃から野球に打ち込んできた菰田陽生選手。

高校野球では甲子園ベスト4や最速152km/h、高校通算39本塁打など、投打で大きな実績を残しました。

規格外の体格と二刀流の能力を武器に、今後どのような選手へ成長していくのか注目されます。

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