2026年のMLBドラフトで、シンシナティ・レッズから指名された石川ケニー選手。
日本とアメリカの両方でプレーしてきた二刀流ですが、父親や母親、兄弟などの家族構成にも注目が集まっています。
今回は、石川ケニー選手の家族構成をはじめ、レッズから指名されるまでの経歴や学歴についてまとめました。
石川ケニーの母親や父親・兄弟など家族構成は?
石川ケニー選手は、日本人の父親、アメリカ人の母親、兄2人、妹2人の7人家族で育ちました。
- 父親:石川則良さん
- 母親:デニースさん
- 兄:ノアさん
- 兄:シェインさん
- 本人:石川ケニー選手
- 妹:マヒナさん
- 妹:マカナさん
シアトル大学の公式プロフィールには、両親がデニースさんとノリキ・イシカワさん、きょうだいがノアさん、シェインさん、マヒナさん、マカナさんと記載されています。
報道では兄2人と妹2人がいると紹介されており、石川ケニー選手は5人きょうだいの三男にあたります。
高校時代に使用していたグラブには、ハワイ語で家族を意味する「OHANA」と、家族7人を表す数字が刺しゅうされていました。
ハワイから日本へ移り、大学進学後には再びアメリカへ渡った石川選手。
環境が大きく変わる中でも挑戦を続けられた背景には、家族の支えがあったのでしょう。
父親の石川則良も投手と外野手の二刀流
父親の石川則良さんも、かつて野球選手としてプレーしていました。
大学野球の強豪として知られる東北福祉大学に所属し、卒業後はハワイへ渡っています。
ハワイでは独立リーグのチームに入り、投手と外野手を兼任していたと伝えられました。
石川ケニー選手も左腕投手としてマウンドに立つ一方、外野手や指名打者として出場する二刀流選手です。
投手と野手の両方でプレーする現在のスタイルには、父親の経歴が大きく影響していると考えられます。
幼い頃から父親の指導を受け、投げ方や打ち方だけでなく、野球に向き合う姿勢も学んできました。
高校時代には父親から厳しい指導を受けたこともあったようですが、その積み重ねが日米で評価される選手へと成長する土台になったのでしょう。
母親のデニースはアメリカ人
母親のデニースさんはアメリカ人です。
石川ケニー選手は、日本人の父親とアメリカ人の母親の間に、アメリカ・ハワイ州オアフ島で生まれました。
母親の職業や詳しい経歴については、現在までに公表されていません。
石川選手は小学2年生の頃までハワイで生活し、その後は家族とともに神奈川県横浜市へ移住しています。
幼少期から日本とアメリカの両方の文化に触れてきたことは、その後の進路にもつながったのかもしれません。
高校卒業後に日本の大学へ進みながら、再びアメリカで挑戦する道を選べたのも、現地にルーツがある石川選手ならではといえそうです。
兄のシェインも明秀学園日立の野球部員
兄の一人であるシェインさんも、石川ケニー選手と同じ明秀学園日立高校の野球部に所属していました。
同校が2018年の選抜高校野球大会に出場した際には、記録員としてベンチ入りしたと伝えられています。
石川ケニー選手が明秀学園日立高校へ進学した背景にも、兄の存在がありました。
すでに兄が野球部で活動していたため、学校の雰囲気や練習環境について身近に話を聞いていたのでしょう。
もう一人の兄であるノアさんと、妹のマヒナさん、マカナさんについては、年齢や職業などの詳しい情報は公表されていません。
一般の方でもあるため、現在確認できるのはシアトル大学の公式プロフィールに掲載された名前までとなっています。
石川ケニーは何者?プロフィールを紹介
石川ケニー選手は、投手と外野手の両方で活躍してきた左投げ左打ちの二刀流選手です。
- 名前:石川ケニー
- 英語表記:Kenny Ishikawa
- 生年月日:2004年4月7日
- 出身地:アメリカ・ハワイ州
- 身長:180センチ
- 体重:85キロ
- 投打:左投げ左打ち
- 守備位置:投手・外野手
最速150キロを超えるストレートを投げる左腕でありながら、打者としても長打力と確実性を兼ね備えています。
2025年のプロ野球ドラフト会議では、オリックス・バファローズから投手として6位指名を受けました。
さらに2026年のMLBドラフトでは、シンシナティ・レッズから二刀流選手として13巡目指名を受けています。
日本とアメリカのプロ球団からドラフト指名を受けた、非常に珍しい経歴の持ち主です。
石川ケニーがレッズから指名されるまでの経歴
石川ケニー選手は、明秀学園日立高校で春夏の甲子園を経験した後、亜細亜大学からシアトル大学、ジョージア大学へと活躍の場を移してきました。
ハワイで生まれ小学2年生で日本へ移住
石川ケニー選手は2004年4月7日、アメリカ・ハワイ州で誕生しました。
幼少期はオアフ島で過ごし、父親から野球を教わっています。
小学2年生の頃に家族で日本へ移住し、その後は神奈川県横浜市で育ちました。
少年時代は瀬谷リトルでプレーし、中学生になると瀬谷リトルシニアに所属。
中学硬式野球を通じて投打の技術を磨き、全国大会も経験しています。
明秀学園日立高校で春夏の甲子園に出場
中学校卒業後は、茨城県にある明秀学園日立高校へ進学しました。
同校には兄のシェインさんも在籍しており、兄の存在が進学を決めるきっかけの一つになったとされています。
高校では投手と外野手を兼任し、早い時期から二刀流選手として注目を集めました。
2年秋には主将としてチームを引っ張り、秋季関東大会での優勝に貢献。
3年生だった2022年には、春の選抜高校野球大会と夏の全国高校野球選手権大会に出場しています。
甲子園では投手としてマウンドに上がるだけでなく、中軸打者としても存在感を示しました。
高校通算本塁打は35本とされ、当時から投手だけに専念させるには惜しい打撃力を持っていたことが分かります。
亜細亜大学を経てアメリカへ
高校卒業後は、東都大学野球連盟に所属する亜細亜大学へ進学しました。
亜細亜大学は数多くのプロ野球選手を輩出してきた強豪校で、石川選手も1年春からリーグ戦に出場しています。
打者としてスタメンに起用される試合もありましたが、その後はアメリカで野球を続ける道を選択しました。
日本の大学を離れてアメリカへ渡る決断には、現地の大学野球で自分の可能性を試したいという思いがあったようです。
慣れ親しんだ環境を離れ、結果が保証されていない場所へ飛び込むのは簡単なことではありません。
それでも挑戦を選んだ行動力が、後のMLBドラフト指名へとつながっていきます。
シアトル大学で投打の中心選手に
石川ケニー選手は、亜細亜大学を離れた後、シアトル大学へ進みました。
2025年シーズンは打者としてチームトップの打率3割1分8厘を記録し、8本塁打を放っています。
OPSもチーム1位となり、カンファレンスのファーストチームに選ばれました。
投手としては5勝6敗、66回3分の1を投げて73奪三振を記録。
アメリカの大学野球でも、投打の両方で主力として結果を残しました。
日本の大学から移ってきた選手が、渡米後すぐに投打の中心となったことで、さらにレベルの高い大学からも注目されるようになります。
全米屈指の強豪・ジョージア大学へ編入
シアトル大学での活躍後、石川ケニー選手はジョージア大学へ編入しました。
ジョージア大学は、全米の大学野球でも最高峰とされるSECに所属する強豪校です。
2026年シーズンは38試合すべてに先発出場し、打率3割3分6厘、3本塁打、21打点を記録しました。
投手としても10試合に登板し、6試合で先発しています。
チームは53勝14敗の成績を残し、SECのレギュラーシーズンとトーナメントを制覇。
カレッジワールドシリーズでも上位に進出し、石川選手は大舞台で打率3割5分7厘を記録しました。
SECトーナメントとNCAA地区大会では、それぞれオールトーナメントチームに選出されています。
シアトル大学から全米屈指の強豪へ移っても打者として結果を残したことが、日米のプロ球団から高く評価された理由なのでしょう。
オリックスからドラフト6位指名
石川ケニー選手は、2025年10月のプロ野球ドラフト会議でオリックスから6位指名を受けました。
オリックスは石川選手を投手として指名し、最速150キロを超えるストレートや二刀流としての将来性を評価しています。
同年11月には球団関係者がジョージア大学を訪れ、指名あいさつも行われました。
ただし、石川選手はすぐに日本のプロ野球へ進むのではなく、ジョージア大学に残って2026年シーズンを戦う道を選んでいます。
オリックスには2026年7月末まで契約交渉権があり、石川選手は日本球界、MLB、大学残留という複数の選択肢を持つことになりました。
レッズから13巡目指名を受け入団を決断
2026年7月12日に行われたMLBドラフトで、石川ケニー選手はシンシナティ・レッズから13巡目、全体392位で指名されました。
レッズからは投手だけでなく、投打の二刀流選手として評価されています。
前年にオリックスからも指名されていたため、日米のどちらでプロ生活を始めるのかに注目が集まりました。
石川選手は2026年7月24日、日本時間25日に自身のSNSを更新し、レッズと契約する道を選んだことを発表しています。
オリックスからの指名や球団関係者への感謝も示した上で、アメリカで夢に挑戦する決断を下しました。
ハワイで生まれ、日本で野球選手として成長し、大学進学後に再びアメリカへ渡った石川選手。
遠回りにも見える歩みでしたが、一つ一つの挑戦がレッズ入りへとつながったことになります。
石川ケニーの学歴
石川ケニー選手の学歴は、以下の通りです。
- 出身小学校:横浜市内の小学校
- 出身中学校:横浜市立原中学校
- 出身高校:明秀学園日立高等学校
- 大学:亜細亜大学
- 編入先:シアトル大学
- 編入先:ジョージア大学
出身小学校は横浜市内
石川ケニー選手は小学2年生の頃にハワイから横浜市へ移住しています。
出身小学校の具体的な校名については、信頼できる公式情報では確認できませんでした。
少年野球では瀬谷リトルに所属し、父親の指導も受けながら本格的に野球へ取り組んでいます。
出身中学校は横浜市立原中学校
出身中学校は横浜市立原中学校です。
瀬谷リトルシニアの公式選手紹介にも、原中学校出身と記載されています。
中学時代は学校の部活動ではなく、硬式野球チームの瀬谷リトルシニアでプレーしました。
中学2年生の時には全国大会を経験し、高校でも二刀流として活躍する基礎を築いています。
高校卒業後は3つの大学でプレー
明秀学園日立高校を卒業した後は亜細亜大学へ進学しました。
その後はシアトル大学へ移り、投手と打者の両方で中心選手として活躍。
さらにジョージア大学へ編入し、全米最高峰の環境でプレーしました。
日本の大学からアメリカへ渡り、実力で強豪大学への道を切り開いた経歴は、石川選手の大きな特徴です。
環境を変えるたびに結果を残してきたことが、オリックスとレッズの両球団から指名される評価につながったのでしょう。
まとめ
今回は、石川ケニー選手の母親や父親、兄弟などの家族構成と、レッズから指名されるまでの経歴や学歴についてまとめました。
- 日本人の父親とアメリカ人の母親の間にハワイで生まれた
- 父親の石川則良さんも投手と外野手を兼任していた
- 兄2人と妹2人がおり、7人家族で育った
- 兄のシェインさんも明秀学園日立高校の野球部に所属していた
- 明秀学園日立高校では春夏の甲子園に出場した
- 亜細亜大学からシアトル大学、ジョージア大学へと進んだ
- 2025年にオリックスからドラフト6位指名を受けた
- 2026年にレッズから13巡目、全体392位で指名された
- レッズと契約してアメリカで挑戦する道を選んだ
ハワイで生まれ、日本で成長し、再びアメリカへ渡って夢への道を切り開いた石川ケニー選手。
日本とアメリカで積み重ねてきた経験を武器に、どのような二刀流選手へ成長していくのか楽しみですね。


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