元阪神タイガースの横田慎太郎さんは、恵まれた身体能力と全力プレーで将来を期待された外野手です。
その原点をたどると、元プロ野球選手の父、野球人生をそばで支えた母、全国大会を経験した姉という、スポーツと深く関わる家族の姿が見えてきます。
今回は、横田慎太郎さんの生い立ちや家族構成、鹿児島実業での高校時代から阪神タイガース入りまでの歩みを詳しく見ていきます。
横田慎太郎の生い立ちや家族構成は?
横田慎太郎さんは幼少期に鹿児島県へ移り、日置市で父親・母親・姉との4人家族の中で育ちました。
| 名前 | 横田慎太郎(よこた しんたろう) |
|---|---|
| 生年月日 | 1995年6月9日 |
| 育った場所 | 鹿児島県日置市 |
| 身長 | 186cm |
| 投打 | 左投左打 |
| 出身校 | 湯田小学校→東市来中学校→鹿児島実業高校 |
| 所属 | 阪神タイガース |
| ポジション | 外野手 |
| 家族構成 | 父親・母親・姉・本人 |
横田さんがボールを握り始めたのは、小学3年生の頃です。
地元でソフトボールを始めると、そこから少しずつ野球の世界にのめり込んでいきました。
少年時代の横田さんを知るうえで印象的なのが、甲子園への強い憧れです。
中学生の頃には、甲子園大会の試合開始を告げるサイレンの音を目覚ましにし、早朝から体を動かしていたといいます。
まだ自分が甲子園のグラウンドに立てるかどうかも分からない時期から、その場所を思い描いて練習を続けていたことになります。
後に阪神タイガースへ入団することを考えると、この少年時代のエピソードには不思議な巡り合わせも感じられます。
横田慎太郎はスポーツ一家で育った
横田家は、家族それぞれがスポーツと深く関わってきた家庭でした。
| 続柄 | 名前 | 人物・経歴 |
|---|---|---|
| 父親 | 横田真之 | ロッテ・中日・西武でプレーした元プロ野球選手 |
| 母親 | 横田まなみ | 少年時代から慎太郎さんを支え続けた母 |
| 姉 | 横田真子 | 鹿児島女子高校でバレーボールの全国大会を経験 |
| 本人 | 横田慎太郎 | 鹿児島実業から阪神タイガースへ入団 |
父親はプロ野球選手として活躍し、姉も全国レベルでバレーボールに打ち込みました。
そこから慎太郎さんもプロ野球選手になったことを考えると、スポーツがとても身近にある家庭だったことがうかがえます。
ただ、横田さんの人生を振り返ると、「スポーツ一家」という言葉だけでは語り切れません。
野球選手として順調な時も、大きな病気と向き合うことになった時も、いつも家族の姿がそばにありました。
父親・横田真之はロッテなどで活躍した元プロ野球選手
横田慎太郎さんの父親・横田真之さんは、プロ野球の世界で確かな実績を残した外野手です。
真之さんは明徳高校、駒澤大学を経て、1984年のドラフト4位でロッテオリオンズに入団しました。
プロ1年目の1985年から打率3割を記録し、翌1986年にも打率3割4厘をマークしています。
さらに、この2年間はいずれもベストナインに選出されました。
その後は中日ドラゴンズ、西武ライオンズでもプレーし、通算917試合に出場しています。
727安打、108盗塁を記録しており、俊足巧打の外野手として長くプロの世界で戦った選手でした。
慎太郎さんにとっては、父親であると同時に「プロ野球選手とはどういうものか」を最も身近で知る存在だったのでしょう。
慎太郎は父親の現役時代をほとんど知らなかった
一方で、慎太郎さんは父親がプロ野球選手としてプレーする姿をほとんど覚えていませんでした。
真之さんが現役を引退したのは、慎太郎さんが生まれた1995年です。
そのため、スタンドから父親の試合を見ながら育ったという二世選手とは少し事情が異なります。
成長してから周囲に父親の現役時代の話を聞いたり、映像を見たりする中で、そのすごさを知っていったようです。
家ではいつもそばにいる父親が、かつてプロの世界で活躍していた選手だったと知ることは、慎太郎さんにとっても大きな刺激になったのではないでしょうか。
「いつか父を超えたい」とプロ入り
慎太郎さんは中学生頃まで、父親から野球の手ほどきを受けていました。
そして成長するにつれ、ただ父親と同じプロ野球選手になるだけでなく、「いつか超えたい」という思いも持つようになります。
2013年のドラフト会議では、阪神タイガースから2位指名を受けました。
父・真之さんはドラフト4位でのプロ入りだったため、指名順位では息子が父を上回ったことになります。
この時、真之さんは笑顔で「負けました」と話したと伝えられています。
親子だからこその温かさと、同じプロ野球選手だからこその特別な関係が感じられるエピソードです。
母親・横田まなみは慎太郎を支え続けた存在
横田慎太郎さんの人生を振り返ると、母親・横田まなみさんの存在も非常に大きなものでした。
少年時代から野球に打ち込む息子を見守り、毎日の生活を支えてきたのがまなみさんです。
甲子園のサイレンを目覚まし代わりにして練習するほど野球に夢中だった慎太郎さんを、家族としてすぐそばから応援してきました。
そして慎太郎さんがプロ入りした後、家族にとって大きな転機が訪れます。
2017年、まだ21歳だった慎太郎さんに脳腫瘍が見つかりました。
阪神の若手外野手として、これから一軍に定着していこうという時期での出来事です。
そこから慎太郎さんは手術や治療、リハビリを続けながら、もう一度グラウンドに立つことを目指しました。
その長い時間を支え続けたのが、父・真之さんや母・まなみさん、姉・真子さんでした。
慎太郎さんが2019年に現役を引退した際にも、家族は鹿児島から駆けつけています。
まなみさんは、息子が最後まで野球に向き合う姿を一番近くで見続けてきた一人です。
慎太郎さんの物語を知れば知るほど、母と息子の間にあった深い絆も見えてきます。
姉・横田真子も全国大会を経験したバレーボール選手
横田慎太郎さんには、4歳上の姉・横田真子さんがいます。
真子さんもスポーツに打ち込み、鹿児島女子高校ではバレーボール部に所属しました。
高校時代には全国大会への出場を経験し、その後は鹿屋体育大学へ進学しています。
父親はプロ野球、姉はバレーボール、弟の慎太郎さんも野球。
競技こそ違いますが、それぞれが真剣にスポーツと向き合ってきた家族だったことが分かります。
慎太郎さんが引退を決断した2019年の試合では、真子さんも両親とともに球場へ駆けつけ、花束を渡しました。
その後の闘病生活でも家族として弟に寄り添い、2023年7月18日に慎太郎さんが亡くなった際には、父・真之さん、母・まなみさんとともに最期を見届けています。
野球人生だけを見ると華やかな場面に目が向きがちですが、その裏側では家族が同じ時間を歩んできました。
横田慎太郎は小学3年生から野球人生をスタート
横田慎太郎さんの野球人生の始まりは、小学生時代のソフトボールでした。
湯田小学校3年生の頃からソフトボールを始め、東市来中学校では軟式野球部に所属します。
父親が元プロ野球選手ということで、生まれながらのエリートだったようにも見えるかもしれません。
しかし、横田さん自身も早朝から練習を重ね、一つずつ力を伸ばしていきました。
父親譲りともいえる身体能力に、本人の努力が加わっていったのでしょう。
そして中学卒業後に進学したのが、鹿児島県内屈指の野球名門校である鹿児島実業高校でした。
鹿児島実業では1年生から4番を任された
鹿児島実業へ進学すると、横田慎太郎さんの才能は早い段階から注目されるようになります。
1年生から4番を任され、一塁手としてチームの中心を担いました。
その後は外野手としてもプレーし、高校3年生になると投手まで兼任しています。
投手としては最速141キロを記録。
高校通算29本塁打、50メートル走6秒1、遠投105メートルという数字からも、打力だけではなく走力や肩の強さまで兼ね備えていたことが分かります。
186cmの大型選手でありながら足も速いという点は、プロのスカウトにとっても大きな魅力だったはずです。
「将来どこまで伸びるのか」と期待したくなる素材だったのでしょう。
憧れた甲子園にはあと一歩届かなかった
横田慎太郎さんが高校時代に強く願っていたのが、甲子園への出場でした。
しかし、鹿児島実業では夏の鹿児島大会決勝で2度敗れています。
あと一つ勝てば甲子園というところまで進みながら、最後まで高校球児として甲子園の土を踏むことはできませんでした。
少年時代から甲子園のサイレンを聞きながら練習してきただけに、簡単には受け止められない悔しさだったことでしょう。
それでも、横田さんの野球人生はそこで途切れません。
甲子園出場歴がなくても、そのスケールの大きさをプロ球団のスカウトは高く評価していました。
2013年ドラフト2位で阪神タイガース入り
横田慎太郎さんの人生が大きく動いたのは、2013年10月24日のプロ野球ドラフト会議です。
阪神タイガースからドラフト2位で指名され、18歳でプロ野球への扉を開きました。
高校時代にはどうしても届かなかった甲子園。
その甲子園球場を本拠地とする阪神タイガースから指名されたのですから、横田さんにとって特別な思いがあったことは想像に難くありません。
入団時から俊足、強肩、長打力を兼ね備えた大型外野手として期待を集めました。
将来的には阪神の中心選手になれるのではないかと、ファンからも大きな期待を寄せられる存在になります。
プロ入り後も、その身体能力は際立っていました。
二軍で経験を積みながら着実に力をつけ、プロ3年目に大きなチャンスをつかみます。
プロ3年目には開幕スタメンをつかんだ
2016年、横田慎太郎さんは春季キャンプやオープン戦で結果を残し、一軍の開幕メンバー入りを果たしました。
3月25日の中日ドラゴンズとの開幕戦では「2番・中堅」でスタメン出場。
プロ野球選手として、大きな一歩を踏み出した瞬間です。
高校時代には届かなかった甲子園が、今度は自分がプロとして戦うホームグラウンドになりました。
少年時代から甲子園に憧れていた横田さんの歩みを知ると、この展開には胸を打たれるものがあります。
2016年は一軍で38試合に出場しました。
まだ20代前半であり、「ここから阪神のレギュラーになっていくのでは」と期待されたのも無理はありません。
ところが翌2017年、春季キャンプ中に体調の異変を感じ、検査を受けた結果、脳腫瘍が判明します。
順調に見えていた野球人生は、思いもよらない形で大きな転機を迎えることになりました。
横田慎太郎の生涯は映画『栄光のバックホーム』に
横田慎太郎さんの歩みは、映画『栄光のバックホーム』として映像化されています。
映画は2025年に公開され、横田慎太郎さん役を松谷鷹也さん、母・まなみさん役を鈴木京香さんが演じました。
父・真之さん役には高橋克典さん、姉・真子さん役には山崎紘菜さんが起用されています。
原作となったのは、横田さん自身の著書『奇跡のバックホーム』と、横田さんや家族の歩みを描いた『栄光のバックホーム』です。
作品ではプロ野球選手としての横田さんだけではなく、家族や仲間との関係も大切に描かれています。
そのため、映画をきっかけに横田慎太郎さんを知り、「実際にはどんな人だったのだろう」「本当の家族はどんな人たちなのだろう」と気になった人も多いのではないでしょうか。
主演の松谷鷹也さん自身も元高校球児で、横田さんと同じ左投げ左打ちです。
映画制作に向けた取材を通じて生前の横田さん本人とも交流しており、横田さんから愛用していたグラブを譲り受けています。
物語の詳しい内容については、これから映画を見る人のためにもここでは控えます。
ただ、横田さんがどれほど野球を愛し、家族や周囲の人たちとどのような時間を過ごしたのかを知る作品として、改めてその人生に触れるきっかけになっています。
横田慎太郎さんという一人の野球選手が今も語り継がれている理由は、記録や成績だけではありません。
夢に向かって走り続けた姿や、家族とともに歩んだ時間まで含めて、多くの人の心に残っているのでしょう。
まとめ
今回は、横田慎太郎さんの生い立ちや家族構成、鹿児島実業から阪神タイガース入りまでの経歴について紹介しました。
- 横田慎太郎さんは幼少期に鹿児島県へ移り、日置市で育った
- 家族は父親・母親・姉・慎太郎さんの4人家族
- 父親の横田真之さんはロッテ・中日・西武で活躍した元プロ野球選手
- 母親のまなみさんは少年時代から闘病生活まで慎太郎さんを支え続けた
- 姉の真子さんは鹿児島女子高校でバレーボールの全国大会を経験した
- 鹿児島実業では1年生から4番を任され、高校通算29本塁打を記録した
- 高校時代に甲子園出場は果たせなかったものの、2013年ドラフト2位で阪神タイガースに入団した
- 2016年には開幕スタメンをつかみ、阪神の将来を担う若手として期待された
- その生涯は映画『栄光のバックホーム』として映像化されている
幼い頃から憧れ続けた甲子園には、高校球児として立つことができなかった横田慎太郎さん。
それでも野球を諦めず、その甲子園を本拠地とする阪神タイガースの選手になった歩みには、どこか運命的なものを感じます。
そして、その道のりを支えていたのが父・真之さん、母・まなみさん、姉・真子さんでした。
横田慎太郎さんが今も多くの人に愛されているのは、野球選手としての才能だけでなく、夢に向かってひたむきに進み、家族とともに一つ一つの壁に向き合った姿が、多くの人の心に残っているからなのかもしれません。


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