プロ野球史上初の通算3000安打を達成し、「安打製造機」と呼ばれた張本勲さん。
2026年9月9日に86歳で亡くなったことが報じられ、妻や子供など家族についても注目が集まっています。
この記事では、張本勲さんの家族構成や経歴・学歴、現役時代の実績、死因についてまとめます。
張本勲の妻・子供など家族構成は?
張本勲さんは野球選手として長く第一線で活躍しましたが、家庭について積極的に公表する人物ではありませんでした。
そのため妻や子供の氏名、年齢、職業などについては、明らかになっていない部分が多くあります。
一方、過去の本人の発言やテレビ番組の紹介から、結婚して妻がおり、娘が複数いることは確認できます。
妻は一般女性
張本勲さんの妻については、一般女性とみられています。
名前や年齢、顔画像など詳しいプロフィールは公表されていません。
2025年にTBSが張本さんの現役時代について紹介した際には、「奥様と幼い娘さんたち」という表現が使われていました。
現役時代の張本さんは、試合で思うような結果が出なかった日には、夜中になって突然バットを振ることもあったそうです。
そうした姿を家族に見せないため、妻や娘たちとは寝室を別にして素振りを続けていたというエピソードも紹介されています。
豪快なイメージが強い張本さんですが、家庭では家族を驚かせないよう気遣う一面もあったようです。
子供は娘が複数いる
張本勲さんには、娘が複数いることが分かっています。
2014年に「サンデーモーニング」に出演した際には、自ら「下の娘」という表現を使って家族について語ったことがありました。
さらにTBSも後に「娘さんたち」と紹介していることから、少なくとも2人の娘がいると考えられます。
ただし、娘たちの名前や年齢、職業などは公表されていません。
芸能活動などをしているとの情報も確認されておらず、家族のプライバシーを大切にしていたことがうかがえます。
父親・母親・兄・姉との家族構成
張本勲さんの人生を語るうえで欠かせないのが、幼少期をともに過ごした家族の存在です。
張本さんには兄と2人の姉がおり、4人きょうだいの末っ子として育ちました。
1945年8月6日、当時5歳だった張本さんは広島で原爆に遭遇しています。
張本さんと2歳上の姉は母親にかばわれて助かりましたが、6歳上の姉・点子さんは爆心地近くで被爆。
全身に大やけどを負い、その後亡くなりました。
張本さんは晩年になっても、このときの姉や母親の姿を忘れられないと語っています。
父親も張本さんが幼いころに亡くなり、その後は母親や兄に支えられながら成長しました。
野球で成功し、母親に楽をさせたいという思いも、張本さんがプロを目指す大きな原動力になっていたとされています。
張本勲の経歴・プロフィール
張本勲さんは、戦後の厳しい時代を生きながら野球界の頂点まで駆け上がった人物です。
| 名前 | 張本勲(はりもと いさお) |
|---|---|
| 生年月日 | 1940年6月19日 |
| 没年月日 | 2026年9月9日 |
| 年齢 | 86歳 |
| 出身地 | 広島県 |
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 85kg(現役時代) |
| 投打 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1959年 |
1959年に東映フライヤーズへ入団すると、1年目から新人王を獲得。
その後は日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツ、ロッテオリオンズでプレーしました。
1981年に現役を引退するまで、実働23年間にわたってプロ野球界を代表する打者として活躍しています。
引退後は野球評論家・解説者として活動。
特に「サンデーモーニング」のスポーツコーナーでは、「喝!」や「あっぱれ!」という歯に衣着せぬコメントで長く親しまれました。
張本勲の学歴は?高校時代からプロ注目の選手だった
張本勲さんの最終学歴として知られているのは、浪華商業高校です。
現在の大阪体育大学浪商高等学校にあたります。
ただ、最初から浪商へ進学したわけではありません。
松本商業高校から浪華商業高校へ転校
張本さんは中学卒業後、広島県にあった松本商業高校の夜間部へ進学しました。
松本商業高校は、現在の広島県瀬戸内高等学校です。
しかし、張本さんには「甲子園に出てプロ野球選手になる」という強い目標がありました。
このままでは甲子園への道が難しいと考え、高校1年の夏に広島を離れ、大阪の強豪・浪華商業高校へ転校します。
浪商では早くから主力として活躍し、プロ球団からも注目される存在となりました。
一方で、学校や野球部をめぐる問題によって甲子園出場の機会には恵まれず、高校時代に甲子園の舞台へ立つことはできませんでした。
それでも実力は高く評価され、卒業後の1959年に東映フライヤーズへ入団しています。
大学へは進学していません。
張本勲の現役時代の実績がすごい
張本勲さんが球史に残る存在である最大の理由が、圧倒的な打撃成績です。
23年間の現役生活で残した通算記録は、現在でも日本プロ野球史を代表する数字となっています。
| 試合数 | 2752試合 |
|---|---|
| 通算安打 | 3085安打 |
| 通算本塁打 | 504本 |
| 通算打点 | 1676打点 |
| 通算打率 | .319 |
| 通算盗塁 | 319盗塁 |
| 首位打者 | 7回 |
| ベストナイン | 16回 |
| 新人王 | 1959年 |
| MVP | 1962年 |
日本プロ野球史上初の3000安打を達成
張本さんの代名詞ともいえるのが、通算3085安打です。
1980年5月28日には、日本プロ野球史上初となる通算3000安打を達成しました。
引退時の通算3085安打は、その後も日本プロ野球の歴代最多記録として残り続けています。
単に安打を量産しただけでなく、504本塁打、319盗塁も記録しており、長打力と走力も兼ね備えた選手でした。
首位打者には7度輝き、ベストナインは16回。
1990年には、その功績が評価され野球殿堂入りを果たしています。
「安打製造機」という呼び名の通り、日本球界を代表する左打者の一人だったといえるでしょう。
張本勲の死因は何?
2026年9月10日、張本勲さんが亡くなったことが報じられました。
関係者によると、張本さんは前日の9月9日午後5時ごろ、東京都内の病院で亡くなったということです。
86歳でした。
死因は現時点では公表されていない
張本勲さんの死因については、2026年9月10日午前の報道時点では明らかにされていません。
東京都内の病院で亡くなったことは報じられていますが、病名や亡くなるまでの詳しい経緯については公表されていない状況です。
今後、家族や関係者などから発表される可能性があります。
過去には激やせや腰の状態を心配する声も
張本さんをめぐっては、2024年ごろから体調を心配する声が出ていました。
2024年5月に東京ドームへ登場した際には杖を使用しており、以前より痩せた姿に心配する声が相次いでいます。
しかし当時、張本さん本人は「大病したわけでもない」と説明していました。
同年には腰を痛めていたことも明かしていますが、その後「もう治りました」と回復を報告しています。
そのため、過去の腰の症状や体重減少と今回の死去を直接結び付けることはできません。
死因については、正式な発表を待つ必要がありそうです。
まとめ
今回は、張本勲さんの妻・子供など家族構成や経歴・学歴、現役時代の実績、死因についてまとめました。
張本さんは結婚しており、妻と複数の娘がいることが過去の本人発言や報道から確認できます。
一方で、妻や娘たちは一般人のため、名前や年齢、職業など詳しい情報はほとんど公表されていません。
選手としては通算3085安打、504本塁打、首位打者7回など圧倒的な数字を残し、日本プロ野球史上初の3000安打も達成しました。
5歳で広島の原爆を経験し、姉を失うなど過酷な幼少期を乗り越えて球界の大打者となった張本さん。
2026年9月9日に86歳で亡くなりましたが、現時点では死因は公表されていません。


コメント