ジャパンキック・フェザー級王者として活躍しているキックボクサーの勇成さん。
19歳で王座をつかみ、タイのONE Friday Fightsでも鮮烈なKO勝利を飾るなど、若くして海外まで戦いの場を広げています。
今回は冨岡勇成さんの本名や年齢、経歴、家族、高校時代からONE参戦までの歩みをまとめました。
冨岡勇成は何者?本名や年齢・プロフィール
「勇成」というリングネームで試合に出場しているため、名前だけではどんな選手なのか分からない人も多いかもしれません。
勇成さんは福岡県北九州市を拠点に活動するプロキックボクサーで、ジャパンキックボクシング協会のフェザー級王者です。
現在は「冨岡勇成」という本名も明らかになっており、2026年9月の試合でも「勇成=冨岡勇成」と紹介されています。
- 名前:冨岡勇成(とみおか ゆうせい)
- リングネーム:勇成
- 生年月日:2005年8月17日
- 年齢:21歳(2026年9月現在)
- 出身地:福岡県北九州市
- 身長:173cm
- 階級:フェザー級
- 所属:Formed(フォームドジム)
- 主な実績:ジャパンキック・フェザー級王者
KNOCK OUT公式プロフィールでも、2005年8月17日生まれ、福岡県北九州市出身、Formed所属と紹介されています。
細身ながらパンチやヒジで試合を決める力があり、10代のうちから国内フェザー級で頭角を現してきました。
冨岡勇成は西勇成と同一人物?
冨岡勇成さんについて調べていくと、「西勇成」という別の名前も出てきます。
こころ未来高等学校の公式サイトでは、Formedジム所属のフェザー級プロキックボクサーとして「西勇成」さんが紹介されています。
掲載されている所属ジムや競技歴、2024年11月のタイトル獲得などが現在の勇成さんと一致していることから、西勇成さんと冨岡勇成さんは同一人物と考えられます。
一方で、なぜ「西」から「冨岡」という姓になったのか、その理由は公表されていません。
旧姓なのか、何らかの事情で姓が変わったのかについても確認できる情報はなく、この点は推測で断定しない方がよさそうです。
なお、ONE参戦時には一部で「富岡勇成」と表記されたこともありますが、2026年9月の試合記事では「冨岡勇成」と掲載されています。
冨岡勇成の経歴は?中学時代にキックボクシングを始める
現在は王者としてリングに立つ冨岡勇成さんですが、キックボクシングとの出会いには意外な背景がありました。
こころ未来高等学校の卒業生インタビューによると、キックボクシングを始めたのは中学2年生の頃です。
コロナ禍の影響もあり不登校になった時期があり、気持ちの行き場を失いかけていた中で、自宅でトレーニングを始めました。
きっかけを作ったのが母親でした。
母親の協力で体を動かし始め、さらに格闘技に詳しい母親の知人から指導を受けたことで、本格的にキックボクシングの世界へ入っていきます。
そこで才能を見いだされると、タイからトレーナーが派遣されるまでに環境が変化。やがてプロを目指す生活へとつながっていきました。
不登校だった中学生が、数年後には日本王者となって海外のリングに立っていることを考えると、大きく環境が変わったことが分かります。
冨岡勇成の高校はどこ?こころ未来高等学校を卒業
競技に力を入れる一方で、高校生活もしっかり続けていました。
冨岡勇成さんは、こころ未来高等学校のサポート校「夢未来高等学院北九州校」の卒業生です。
学校公式では当時の「西勇成」の名前で紹介されています。
中学校の担任から紹介されたことが進学のきっかけで、キックボクシングと学業を両立できる環境を選びました。
プロデビューは高校入学から間もない2022年7月。
朝からランニングやジムでの練習を行い、その合間にサポート校へ通う生活を続けていたそうです。
試合とスクーリング、試験の日程が重なることもあったものの、学校側のサポートを受けながら3年間を過ごし、高校を卒業しています。
学校のインタビューでは、不登校だった頃と比べて見える景色が大きく変わったことも語っていました。
冨岡勇成の家族は?母親がキックボクシング人生を支えていた
冨岡勇成さんの競技人生を振り返ると、家族の中でも特に母親の存在が大きかったことが見えてきます。
中学時代に不登校となった際、自宅でのトレーニングを始めるきっかけを作ったのが母親でした。
さらに母親の知人から格闘技を教わるようになり、現在所属するジムについても、母親の支えによって立ち上げられたと学校公式サイトで紹介されています。
2024年7月に王座挑戦権を獲得した際にも、勇成さんは今後の練習について母親の存在に触れていました。
王者になるまでの道のりを、母親がかなり近いところで支えてきたことがうかがえます。
一方、父親や兄弟姉妹については、現時点で詳しい情報は公表されていません。
家族全員のプロフィールを明かしている選手ではなく、確認できる家族情報は母親とのエピソードが中心となっています。
冨岡勇成がジャパンキック王者になったのはいつ?
プロデビュー後、勇成さんは短期間でフェザー級の上位まで駆け上がっていきました。
2023年にはジャパンキックボクシング協会の新人賞を受賞するなど、早い段階から将来を期待される存在となります。
2024年7月にはフェザー級次期挑戦者決定戦で樹選手と対戦し、勝利して王座挑戦権を獲得しました。
そして大きな転機となったのが、2024年11月17日の後楽園ホール大会です。
当時のジャパンキック・フェザー級王者だった皆川裕哉選手に挑戦しました。
勇成さんは1Rから右ストレートでダウンを奪うなど積極的に攻め、3Rにも再びダウンを奪います。
最後は3RでKO勝利を収め、19歳にしてジャパンキック・フェザー級王座を獲得しました。
プロデビューが2022年7月だったことを考えると、わずか2年あまりで日本タイトルまでたどり着いたことになります。
冨岡勇成のONE参戦は?初戦で衝撃のKO勝利
国内王者となった勇成さんは、その勢いのまま海外へと戦いの場を広げます。
2025年2月14日、タイ・バンコクのルンピニースタジアムで開催された「ONE Friday Fights 97」に初参戦しました。
対戦相手はタイのグランプリノイ・PKセンチャイ選手。
勇成さんは序盤から左ボディを当てると、パンチやヒジを織り交ぜながら一気に前へ出ます。
最後はボディへの連打から相手を追い込み、1R1分12秒でTKO勝利。
初めて立ったONEのリングで、わずか72秒という鮮烈な決着を見せました。
さらに、この勝利によって35万バーツのパフォーマンスボーナスも獲得しています。
日本国内ではすでに王者となっていましたが、ONE初戦のKO勝利によって海外でも名前を知られるきっかけとなりました。
冨岡勇成は2025年にKNOCK OUTにも参戦
ONEで結果を残した後は、国内でも新たな舞台に挑戦しています。
2025年5月にはヌアシラーS.R.K選手と対戦。
2R開始直後に左ヒジを決めてKO勝利し、ONEに続いてタイ人選手を相手に強烈な決定力を見せました。
そして2025年8月29日には、以前から憧れの舞台だったというKNOCK OUTへ初参戦します。
対戦相手は祐輝選手でした。
しかし、この試合では開始直後からパンチを浴びてダウンを奪われ、1R59秒でTKO負け。
連勝を続けてきた勇成さんにとって、大きな壁にぶつかる一戦となりました。
その後はしばらくリングから離れています。
冨岡勇成は2026年9月に約1年ぶりに復帰
KNOCK OUTでの敗戦後、次にリングへ戻ってきたのは約1年後でした。
2026年9月20日の「KICK Insist.28」で、タイのペレー・サンライズジム選手と対戦しています。
勇成さんはローキックや左ボディを繰り出しながら前へ出続け、ヒジや首相撲を使う相手と激しく打ち合いました。
判定は1人が勇成さんを支持したものの、残る2人はドロー。結果は引き分けとなっています。
この試合終了時点での戦績は13戦10勝、うち7KO、2敗1分です。
久しぶりの実戦で勝利とはならなかったものの、21歳という若さを考えれば、ここから再び試合を重ねていく姿にも注目が集まりそうです。
まとめ
今回は、キックボクサーの冨岡勇成さんについて、本名や年齢、経歴、家族、ONE参戦やジャパンキック王者としての実績をまとめました。
冨岡さんは2005年8月17日生まれの福岡県北九州市出身で、Formedに所属するフェザー級のキックボクサーです。
中学2年生の頃、不登校となった時期に母親の協力で自宅トレーニングを始めたことが、キックボクシングとの出会いでした。
高校時代は「西勇成」の名前でこころ未来高等学校に在籍し、2022年7月にプロデビュー。
2024年には19歳でジャパンキック・フェザー級王者となります。
さらに2025年にはONE Friday Fightsへ初参戦し、わずか1R1分12秒でTKO勝利するなど海外でも存在感を見せました。
2026年9月には約1年ぶりにリングへ戻っており、まだ21歳。国内王者からその先へ、これからどんな戦いを見せるのか気になる選手です。


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