最近、「マナー講師」「謎マナー」「失礼クリエイター」といった言葉をテレビやSNSで見かけることが増えました。
- 食べ方や座り方が、細かいところまで「マナー」として決められる
- オンライン会議の入り方・出方にまでマナーがつく
- 守らない人が「非常識」と言われてしまうことがある
こうした流れの中で
- マナー講師って本当に“害悪”なのか
- それとも一部の「謎マナー」がおかしいだけなのか
モヤモヤを抱えている人も多いのではないでしょうか。
この記事では
- マナー講師が叩かれやすくなっている理由
- そもそも「マナー」とは何なのか
- 「謎マナー」と呼ばれるものの特徴
- 謎マナーに振り回されないための考え方
をできるだけわかりやすく整理していきます。
マナー講師は本当に害悪なのか
まず、「マナー講師=害悪」と言われがちなポイントから見ていきます。
よく挙がるのは次のような点です。
- 理由がよく分からない「正しいマナー」が多い
- 守れない人に「非常識」とレッテルが貼られやすい
- 会社や上の人の都合の良いルールを“マナー”として押しつけることがある
たとえばテレビなどで
- 「この向きで食べるのがマナーです」
- 「エレベーターではこの順番で乗るのが正しいです」
と紹介されても
それを守らないと実際に誰がどんなふうに困るのか?
が見えないケースがあります。
それなのに
- 「そんなことも知らないの?」
- 「社会人なら常識でしょ」
とまで言われてしまうと「さすがにそれはやりすぎでは?」と感じる人が出てくるのも自然です。
こうした経験の積み重ねが
「マナー講師って、むしろ害を生んでいるのでは?」
というイメージにつながっている面はたしかにありそうです。
そもそもマナーとは
ここで一度「マナーってそもそも何なのか」を整理しておきます。
ざっくり分けるとこんなイメージです。
- ルール
法律・社内規定・校則など。破るとペナルティや罰があるもの。 - モラル(道徳・倫理)
「人としてこれはやめておこう」「こうしておきたい」という内側の感覚。
良心や価値観に近い部分です。 - マナー
お互いが気持ちよくスムーズに過ごせるようにするための「型」や「作法」。
マナーの本来の目的は
- 相手を必要以上に不快にさせない
- 初対面どうしでも安心してやりとりできるようにする
- いらないトラブルを減らす
といったところにあります。
言いかえると
「こうしないと罰せられる」ではなく「こうしておくとお互いラクだし無難だよね」
くらいの“ゆるい共通ルール”のはずなんですよね。
この土台を踏まえたうえで、「謎マナー」と呼ばれるものを見ていきます。
謎マナーの特徴
では、世間で「謎マナー」と呼ばれているものにはどんな共通点があるのでしょうか。
1)誰の得になるのか分からない
- 守っても、仕事や生活が特別ラクになるわけではない
- 守らなくても、誰かが実際に強く困るわけでもない
にもかかわらず
「これが正しいマナーです」
「できていないと恥ずかしいですよ」
と語られるものがあります。
「相手のため」「場のため」というより“細かさ”そのものが目的になってしまっているタイプです。
2)理由が「昔から」「そう習ってきた」で止まっている
理由をたずねても
- 「昔のビジネスではこうだったから」
- 「先輩や上司にそう教わってきたから」
といった説明で終わってしまうもの。
慣習そのものが悪いわけではありませんが、時代や働き方が変わっているのに
中身はそのまま「正解」として残っているとどうしても違和感が出てきます。
3)守れない人を責める材料になっている
「謎マナー」が一番やっかいなのは単なる「考え方の一つ」で済まずに
- 「そんなことも知らないの?」
- 「社会人としてどうなの」
と人を責める材料として使われるところです。
この瞬間マナーは
「みんなが過ごしやすくなるための工夫」
ではなく
「人をジャッジするための武器」
になってしまいます。
ここまで来ると「害が大きい」と感じる人が増えるのも当然と言えます。
マナー講師=すべてが害悪ではない
とはいえ
「マナー講師なんて全部いらない」
と切り捨ててしまうのも少し極端かもしれません。
社会に出たばかりの人には「ガイド」が役立つ場面もある
新入社員や社会人経験の浅い人にとっては
- どこまでがOKで
- どこからが「失礼」に見えやすいのか
が最初は分かりづらいものです。
そんなとき
- 社外メールの書き方の“最低ライン”
- 電話応対で押さえておきたいポイント
- お客様への接し方で「これは避けた方がいい」という例
などをまとめて教えてもらえるのは不安を減らす助けになります。
「これくらいできていれば大丈夫」という目安になる
何が正しいのかまったく分からない状態だと、それだけで過度に緊張してしまいます。
そこで
「まずはこのあたりを押さえておけば、大きく失礼にはならない」
という“目安”があると気持ちがラクになる人もいます。
つまり
- マナー講師という存在そのものが悪いというよりも
- 中で語られている内容に“謎マナー”が混ざると窮屈さが強くなる
という方が実態に近いのかもしれません。
マナーとして語るべきではないところまで踏み込んでいないか
もう一つ、気をつけて見ておきたいのが
本来は「人としてどうありたいか」の話なのに何でもかんでも「マナー」の言葉で片づけてしまっていないか?
という点です。
本来は「人柄」の話までマナーで採点してしまう
たとえば
- 後輩や部下への声のかけ方
- お店の人や配達員さんへの態度
- 失敗した相手へのフォローの仕方
こうした部分は本来は
「自分はこういう大人でいたい」
という人としてのスタンスの話です。
そこにまで
- 「それはマナー違反です」
- 「社会人としてありえません」
という言葉を当てはめてしまうと、人柄そのものが外から採点されているような重さが出てきます。
組織の都合を「マナー」でごまかしていないか
もうひとつ注意したいのが
- 無理な飲み会への参加
- 長時間残業が当たり前な雰囲気
- 上の立場の人に逆らいにくい空気
といったものが
「礼儀だから」
「マナーだから」
「社会人なら当然だから」
という言葉で正当化されていないかという点です。
この場合の「マナー」は
組織にとって都合の良いルールを押し通すための便利な言い訳
として使われてしまいます。
ここまで踏み込んでしまうと「やっぱりおかしい」と感じる人が増えるのも当然です。
謎マナーに振り回されないために
では、こうした「謎マナー」とどう付き合っていけばいいのか。
先ほど挙げたような
- 誰の得になるのか分からない
- 理由が説明されない
- 守れない人を責める方向に使われる
といったマナーに出会ったときに少しだけ立ち止まって考えてみたいポイントを挙げてみます。
「誰のためのマナーか?」を一度考えてみる
目の前のマナーが
- 守ることで、相手の不安や負担が減るのか
- 守ることで、自分もトラブルを避けられるのか
- 守ることで、立場の弱い人が守られるのか
このあたりに当てはまりそうなら「意味のあるマナー」として受け止めやすくなります。
逆に
- 守る側だけがしんどい
- 守らなくても、特に誰も困らない
- 守る理由を聞いてもピンとこない
という場合は「謎マナー寄りかも?」と一歩引いて見てみても良さそうです。
「できない人を叩くために使われていないか」を見る
そのマナーが
- 「みんなが気持ちよく過ごすための工夫」として語られているのか
- 「できない人を笑う・責める材料」として使われているのか
ここも大きな分かれ目です。
後者の空気が強いときは、内容がどれだけもっともらしくても危うさは残ります。
「正解は一つじゃない」という前提を持っておく
マナーは本来「絶対の正解」ではなく
「こうしておくと無難」
「こういうやり方もある」
といった“選択肢の一つ”のはずです。
場や相手によって心地よい距離感や言葉づかいは変わるので
- 「この場にはこのやり方は合わないかも」
- 「相手がこういうタイプなら、別のやり方の方が良さそう」
と、自分なりに調整していく余地は本当は残しておいていいはずです。
まとめ
- 本来のマナーは、「みんなが気持ちよく過ごすための、ゆるい共通ルール」。
- 理由が分かりにくく、守れない人を叩く方向に使われるものは“謎マナー”寄り。
- マナー講師そのものがすべて害悪というより内容に問題があるケースが目立っている。
「マナーだから」「常識だから」で思考停止せず
それは本当に誰かのためになっているのか。
それとも誰かのこだわりが形だけ残っているだけなのか。
そんな視点を少しだけ持っておくと“謎マナー時代”との付き合い方も少しラクになるのではないでしょうか。


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