2026年10月の横浜市長選に立候補し、注目を集めている建築家の山本理顕さん。
2024年には世界的に権威のあるプリツカー賞を受賞しており、国内外で数多くの建築を手掛けてきました。
今回は、山本理顕さんの年齢や経歴・学歴、家族構成、横浜市長選に出馬した理由についてまとめます。
山本理顕は何者?
まずは、山本理顕さんがどのような人物なのか見ていきましょう。
山本理顕さんは、住宅や公共施設、学校などを国内外で手掛けてきた世界的な建築家です。
特に「個人の暮らし」と「地域社会」をどのようにつなげるかというテーマを長年研究し、建築を通じたコミュニティーづくりを提案してきました。
2024年には、建築界で世界最高峰の栄誉の一つとされるプリツカー賞を受賞。
日本出身の建築家としては9人目の受賞者となり、世界的にも知られる存在となっています。
| 名前 | 山本理顕(やまもと りけん) |
|---|---|
| 生年 | 1945年 |
| 年齢 | 81歳(2026年10月時点) |
| 出生地 | 中国・北京 |
| 育った場所 | 神奈川県横浜市 |
| 職業 | 建築家 |
| 主な受賞 | 日本建築学会賞、日本芸術院賞、プリツカー賞など |
北京で生まれた山本理顕さんは、戦後間もなく日本へ戻り、横浜で育ちました。
幼少期に暮らした家では、道路側で母親が薬局を営み、その奥が家族の生活空間になっていたといいます。
「家」と「地域」が完全に分断されていない環境で育った経験は、後の建築思想にもつながっていると考えられます。
山本理顕の経歴は?
山本理顕さんは、50年以上にわたって建築の第一線で活動してきました。
主な経歴を時系列でまとめると、次のようになります。
- 1945年:中国・北京で誕生
- 戦後:横浜へ移り住む
- 1968年:日本大学理工学部建築学科を卒業
- 1971年:東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻を修了
- 1971年:東京大学生産技術研究所・原広司研究室の研究生となる
- 1973年:山本理顕設計工場を設立
- 2002年~2007年:工学院大学教授
- 2007年~2011年:横浜国立大学大学院教授
- 2011年~2013年:横浜国立大学大学院客員教授
- 2011年~2013年:日本大学大学院特任教授
- 2018年~2022年:名古屋造形大学学長
- 2022年~2024年:東京藝術大学客員教授
- 2024年~:神奈川大学客員教授
- 2024年:横浜国立大学名誉教授・名誉博士
- 2024年:日本大学名誉教授・名誉博士
- 2024年:プリツカー賞受賞
- 2026年:横浜市長選に立候補
建築家として活動するだけでなく、複数の大学で教授や学長を務めるなど、建築教育にも長く携わってきたことが分かります。
代表作品は?
山本理顕さんは住宅だけでなく、美術館や大学、消防署、集合住宅など幅広い建築を設計しています。
主な作品には、
- GAZEBO
- 熊本県営保田窪第一団地
- 埼玉県立大学
- 公立はこだて未来大学
- 広島市西消防署
- 東雲キャナルコートCODAN
- 横須賀美術館
- 福生市庁舎
- 天津図書館
- THE CIRCLE チューリッヒ空港
- 名古屋造形大学
などがあります。
横浜市内でも、自邸を含む「GAZEBO」や横浜市立子安小学校などを手掛けており、横浜との関係が非常に深い建築家です。
2024年にプリツカー賞を受賞
山本理顕さんの名前が一般にも広く知られるきっかけとなったのが、2024年のプリツカー賞受賞です。
プリツカー賞は世界の建築家を対象とする非常に権威のある賞で、山本理顕さんは53人目の受賞者となりました。
評価されたのは建物そのもののデザインだけではありません。
住宅や公共施設を通じて、人と人が自然につながる空間をつくり続けてきたことも高く評価されています。
山本理顕さんが長年掲げてきた「地域社会」と建築の関係が、世界的にも認められた形といえそうです。
山本理顕の学歴は?
山本理顕さんは横浜で小学校から高校時代までを過ごしています。
公表されている学歴は次の通りです。
- 横浜市立青木小学校 卒業
- 関東学院中学校 卒業
- 関東学院高等学校 卒業
- 日本大学理工学部建築学科 卒業
- 東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻 修了
さらに大学院修了後は、東京大学生産技術研究所の原広司研究室で研究生として学んでいます。
原広司さんは京都駅ビルなどでも知られる建築家で、山本理顕さんはその研究室で住宅や集落について研究しました。
その後の「住宅と地域社会」を中心とした建築思想にも、この時期の経験が大きく影響しているとみられます。
山本理顕の家族構成は?
山本理顕さんは建築について数多く発信している一方、家族のプライベートについては多くを公表していません。
ただし、公的な資料などから妻や子供の存在を確認することができます。
妻は建築関係の仕事をしていた?
山本理顕さんは結婚しています。
1986年に完成した山本理顕さんの自邸「GAZEBO」について、文化庁の資料では、母親や叔母、同業の妻と乳児と暮らすためにつくられた住宅だったことが紹介されています。
このことから、妻も建築関係の仕事に携わっていたことが分かります。
一方、妻の名前や年齢、詳しい経歴などは公表されていません。
息子の山本至も建築家
山本理顕さんの子供として確認できるのが、建築家の山本至(やまもと・いたる)さんです。
山本至さんは1987年に横浜で生まれ、慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、東京大学大学院を修了しています。
その後、山本理顕設計工場で経験を積み、首都大学東京の特任助教などを経て、建築設計スタジオ「itaru/taku/COL.」を共同設立しています。
山本理顕さんと山本至さんは建築に関する対談にも親子として登場しており、父と同じ建築の世界で活動していることが確認できます。
娘もいる?
インターネット上では、山本理顕さんには息子以外の子供がいるという情報も見られます。
ただし、今回確認した公式プロフィールや公的資料では、娘の存在や名前、経歴を明確に確認できる情報は見つかりませんでした。
そのため、現時点では「息子の山本至さんがいることは確認できる」というところまでにとどめておくのが正確でしょう。
山本理顕が横浜市長選に出馬した理由は?
世界的な建築家が、なぜ81歳で市長選への立候補を決めたのでしょうか。
山本理顕さんは2026年10月4日に告示された横浜市長選に、無所属で立候補しました。
立候補後の会見では、混迷する世界情勢や、市政をめぐる一連の状況への問題意識があったことを説明しています。
「使命感」というよりも、自分に何かできることをさせてほしいという思いから立候補を決めたという趣旨の説明をしています。
一方で、山本理顕さんの出馬を考えるうえでは、長年取り組んできた「住まいと地域社会」というテーマも重要です。
山本理顕さんは公式サイトで、長年にわたって住まいと地域社会の関係を考えてきたと説明しています。
一つの家族だけで生活を完結させるのではなく、地域全体で子育てや高齢者支援、仕事、交流などを支え合う「地域社会圏」という考え方を提唱しています。
つまり今回の市長選への立候補は、長年建築家として考えてきた「住まい」「地域」「公共空間」のあり方を、横浜という都市全体に広げようとする動きとも見ることができます。
どのような政策を掲げている?
山本理顕さんは、横浜市長選で住宅や地域社会、公共交通などを中心とした政策を掲げています。
主な内容としては、
- 安全で快適な住宅に住む権利の保障
- 市内住宅の耐震診断や地盤調査
- 町内会ごとの「町内会サロン」の設置
- 幼児・学童・高齢者を地域で支援する仕組み
- 市内を結ぶミニバス・ミニタクシー網の整備
- 横浜の観光収入増加を目指すまちづくり
- 山下ふ頭を活用した文化的な拠点づくり
などを挙げています。
建築家として長年研究してきた「地域社会圏」の考え方を、市政にも取り入れようとしていることが特徴です。
2026年の横浜市長選は10月18日に投開票される予定で、山本理顕さんを含む7人が立候補しています。
まとめ
今回は、山本理顕さんの年齢や経歴・学歴、家族構成、横浜市長選への出馬理由についてまとめました。
- 山本理顕さんは1945年生まれの81歳
- 中国・北京で生まれ、横浜で育った建築家
- 日本大学から東京藝術大学大学院へ進学
- 1973年に山本理顕設計工場を設立
- 横須賀美術館や公立はこだて未来大学などを設計
- 2024年にプリツカー賞を受賞
- 妻は建築関係者で、息子の山本至さんも建築家
- 2026年10月の横浜市長選に無所属で立候補
- 長年研究してきた「地域社会圏」をまちづくりにも取り入れようとしている
50年以上にわたって建築や都市、地域社会について考えてきた山本理顕さん。
世界的な建築家としての経験を背景に横浜市長選への立候補を決めたことで、今後さらに注目を集めそうです。


コメント