三浦璃来さんとの「りくりゅう」で、日本フィギュアスケート史上初となるペアの五輪金メダルを獲得した木原龍一さん。
現在では世界的なペアスケーターとして知られていますが、もともとは男子シングルの選手で、20歳でのペア転向や大きな怪我、引退を考えた時期も経験しています。
今回は、木原龍一さんの生い立ちや経歴、学歴、父親・母親など家族構成、ペア転向から2026年の現役引退までの歩みをまとめます。
木原龍一の生い立ちや経歴は?
木原龍一さんは1992年8月22日、愛知県東海市に生まれ、4歳の頃からフィギュアスケートを始めました。
- 名前:木原龍一(きはら りゅういち)
- 生年月日:1992年8月22日
- 年齢:34歳(2026年8月現在)
- 出身地:愛知県東海市
- 競技:フィギュアスケート・ペア
- 最終学歴:中京大学
- 所属:木下グループ
- ペア転向:2013年
ペアで世界一になるまでの道のりは決して一直線ではありませんでした。
シングル選手として全国大会や世界ジュニアを経験した後、20歳でそれまでほとんど経験のなかったペアへ転向。
高橋成美さん、須崎海羽さん、三浦璃来さんと3人のパートナーと組み、4大会連続で冬季五輪に出場しています。
やんちゃな子供で4歳からスケートを始めた
幼少期の木原龍一さんは、とにかく元気いっぱいの子供だったそうです。
母親によると、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまうほど活発だったため、そのエネルギーを発散させようとさまざまな習い事を経験しました。
体操やスイミング、英語などにも挑戦しましたが、その中で木原さんが夢中になったのがスケートでした。
4歳の頃に名古屋市内のリンクへ連れて行くと、スケート靴を履いてすぐに氷の上を動き回ったといいます。
その姿を見た母親が「合っているかもしれない」と感じ、スケート教室へ通わせたことが競技人生の始まりでした。
幼少期は鈴木明子にもかわいがられていた
木原龍一さんが通っていたリンクでは、後に五輪で活躍する鈴木明子さんも練習していました。
木原さんより8学年上だった鈴木さんからは弟のようにかわいがられ、幼い頃からトップレベルを目指す選手たちがいる環境で育っています。
最初は遊びを取り入れながらスケートに親しみ、中学2年生頃まで同じコーチのもとで基礎を身につけました。
その後は名古屋市内のスケートクラブへ移り、本格的にジャンプや体力面を強化していきます。
男子シングルで世界ジュニアにも出場
現在はペアの印象が強い木原龍一さんですが、長く男子シングルの選手として活動していました。
高校時代には全国高校総体で優勝し、全日本ジュニア選手権では2位に入賞。
全日本選手権にも出場して新人賞を獲得し、2011年の世界ジュニア選手権では10位に入るなど、全国レベルのシングル選手に成長しています。
このシングル時代に磨いたスケーティングやジャンプは、後にペアへ転向してからも木原さんの大きな武器となりました。
木原龍一の学歴は?
木原龍一さんは地元・愛知県東海市の学校から中京大学附属中京高校、中京大学へと進学しています。
- 小学校:東海市立名和小学校
- 中学校:東海市立名和中学校
- 高校:中京大学附属中京高等学校
- 大学:中京大学
小学校は東海市立名和小学校
木原龍一さんの出身小学校は、東海市立名和小学校です。
4歳からフィギュアスケートを始めているため、小学生になる頃にはすでにリンクへ通う生活を送っていました。
幼少期からスケート中心の生活でしたが、本人は子供の頃から競技として結果を追い求めていたというより、まずは氷の上で滑ることそのものを楽しんでいたようです。
中学校は東海市立名和中学校
小学校卒業後は、地元の東海市立名和中学校へ進学しました。
中学2年生頃までは幼少期から指導を受けていたコーチのもとで練習を続け、その後はさらに競技力を高めるため環境を変えています。
この頃から本格的なシングルスケーターとして力を伸ばしていきました。
高校は中京大学附属中京高校
高校はフィギュアスケートの強豪として知られる中京大学附属中京高等学校へ進学しました。
学校側も木原さんを2010年度の卒業生として紹介しています。
高校時代には全国高校総体優勝や全日本ジュニア選手権2位などの実績を残し、シングル選手として大きく成長した時期でもあります。
その後、内部進学する形で中京大学へ進みました。
大学は中京大学
木原龍一さんの最終学歴は中京大学です。
大学時代も当初は男子シングルを続けていましたが、ここで人生を大きく変える「ペア転向」の話が舞い込んできます。
大学3年だった2014年には、ペア選手としてソチ冬季五輪にも出場。
大学生活と並行しながら海外を拠点に競技を続けるようになりました。
木原龍一の家族構成は?
木原龍一さんの家族については、父親と母親が長年スケート人生を支えてきたことが分かっています。
- 父親:一般の方
- 母親:鈴江さん
- 木原龍一さん
- 兄弟姉妹:公表されていない
兄弟姉妹の有無については、本人から詳しく公表されていません。
一方で、両親は木原さんが幼い頃から送り迎えなどを続け、競技生活を支えてきました。
母親・鈴江がスケートを始めるきっかけを作った
木原龍一さんがフィギュアスケートの世界へ入るきっかけを作ったのが、母親の鈴江さんです。
幼い木原さんがあまりに活発だったため、体力を使える習い事をいくつも経験させ、その一つとしてスケートへ連れて行きました。
そこで楽しそうに滑る息子を見て、スケート教室へ通わせることを決めています。
中京大学時代にペア転向を勧められ、木原さんが悩んでいた時にも、母親は声をかけて背中を押しました。
幼少期から競技人生の大きな転機まで、母親は木原さんの選択を近くで見守り続けてきた存在です。
父親はペア転向時に強化担当者へ思いを伝えた
木原龍一さんの父親は一般の方で、名前や職業など詳しいプロフィールは公表されていません。
ただし、木原さんがシングルからペアへ転向する際の印象的なエピソードがあります。
2012年、日本のペア競技強化を進めていた関係者が愛知県を訪れ、木原さん本人だけでなく両親にも転向について説明しました。
父親は話を受け入れたうえで、息子を途中で見放すことがないよう強く願ったといいます。
それまで長年シングル選手として育ててきた息子が、20歳でまったく違う種目へ挑戦することになります。
家族にとっても大きな決断だったことが伝わってきます。
木原龍一が今伝えたいのは両親への感謝
木原龍一さん自身も、幼い頃の自分に言葉をかけるなら、送り迎えをしてくれる父親と母親への感謝を忘れないよう伝えたいと話しています。
フィギュアスケートは本人だけで続けられる競技ではなく、家族が一つになって取り組む必要があるという思いを持っているようです。
2026年の五輪で金メダルを獲得した後にも、報奨金で苦労をかけた両親に好きな物をプレゼントしたいと明かしていました。
4歳から30年以上続いたスケート人生の中で、両親の存在は非常に大きかったのでしょう。
木原龍一はなぜシングルからペアに転向した?
木原龍一さんがペアへ転向した背景には、2014年ソチ冬季五輪へ向けて日本のペア競技を強化する動きがありました。
当時の木原さんは20歳で、男子シングル選手として競技を続けていました。
一方、日本ではソチ五輪からフィギュアスケート団体戦が採用されることもあり、日本人同士で世界と戦えるペアの育成が急務となっていました。
そこで候補として名前が挙がったのが、シングルで国際大会経験があり、体格やスケーティング能力も評価されていた木原さんでした。
ペア転向には悩んでいた
木原龍一さんにとって、ペアへの転向はすぐに決められるものではありませんでした。
4歳から約16年間続けてきた男子シングルを離れ、20歳から全く違う技術を一から身につけることになります。
しかし、五輪を目指して新しいことに挑戦できる機会は今しかないと考え、最終的にペアへ進むことを決断。
2013年、高橋成美さんとのペアを結成しました。
ペア転向後は大幅な肉体改造
ペア競技では、男性選手が女性選手を持ち上げるリフトや、投げ上げるツイストなど大きな力が必要です。
シングル時代の木原さんは60kgほどの体重でしたが、ペア転向後は筋力をつけるため大幅な肉体改造に取り組みました。
食事量を増やすことにも苦労しながら、長い時間をかけてペア選手としての体を作っていったといいます。
現在の力強いリフトの裏には、シングルから競技そのものに合わせて体を作り変えた努力がありました。
木原龍一の歴代ペアは3人
木原龍一さんはペア転向後、高橋成美さん、須崎海羽さん、三浦璃来さんとパートナーを組んできました。
- 高橋成美:2013年~2015年
- 須崎海羽:2015年~2019年
- 三浦璃来:2019年~2026年
パートナーが変わるたびに一から関係を築きながら、木原さんはペアスケーターとして成長していきました。
高橋成美とのペアでソチ五輪へ
木原龍一さんが最初にペアを組んだのは、世界選手権のメダル獲得経験もあった高橋成美さんです。
2013年1月にペアを結成し、木原さんはリフトなどペア特有の技術を一から習得。
ペア結成から約1年という短期間で、2014年ソチ冬季五輪への出場を果たしました。
個人戦ではショートプログラム18位でフリー進出を逃しましたが、団体戦にも出場しています。
シングルから転向したばかりの木原さんにとって、ペアスケーターとしての土台を築いた期間でした。
須崎海羽とのペアで平昌五輪へ
高橋成美さんとのペア解消後、2015年に新たに組んだのが須崎海羽さんです。
2人は2018年平昌冬季五輪に出場し、木原さんにとって2大会連続の五輪となりました。
団体戦では日本の5位入賞に貢献。
個人戦ではショートプログラム21位となり、フリーへ進むことはできませんでした。
須崎さんとのペアでは全日本選手権優勝などの実績を残しましたが、その後木原さんを大きな怪我が襲います。
木原龍一は2019年に引退を考えていた
木原龍一さんは三浦璃来さんと出会う直前の2019年、本気で競技からの引退を考えていました。
すでに2度の五輪に出場していましたが、思うような結果を残せない中で、自分はペア競技に向いていないのではないかという思いを抱えていたそうです。
さらに脳震盪や肩関節唇損傷などの怪我も重なりました。
地元のリンクでアルバイトをしながら、このままスケートを続けるべきなのか悩む日々を送っていました。
周囲が社会人になる中で焦りもあった
木原龍一さんは当時20代後半になり、同年代の友人たちが社会人として働く姿も目にしていました。
一方、自分はスケート以外の経験がほとんどないことに焦りを感じていたといいます。
怪我、自信の喪失、将来への不安。
さまざまなことが重なり、「そろそろ引退した方がいいのでは」と考えるようになっていました。
そんな時に届いたのが、三浦璃来さんからのトライアウトの誘いでした。
三浦璃来との出会いで競技人生が変わる
引退を考えていた木原龍一さんの競技人生を大きく変えたのが、当時17歳だった三浦璃来さんとの出会いでした。
2019年夏、新しいパートナーを探していた三浦さんから木原さんへ声をかけ、2人は名古屋でトライアウトを行いました。
初めて一緒に滑った段階から、木原さんはこれまでとは違う感覚を覚えたといいます。
スケーティングでは自然にスピードが出て、ツイストでも驚くほど高さが出ました。
木原さんは、この組み合わせならうまくいくと強い手応えを感じ、2019年8月に正式にペアを結成しています。
カナダへ渡り「りくりゅう」が急成長
ペア結成後、2人はカナダを拠点として練習を始めました。
世界トップレベルの指導環境で、木原さんはそれまで苦手としてきたペアの技術を一から見直していきます。
2人は結成当初からスピード感や一体感のある演技を見せ、国際大会でも徐々に存在感を高めました。
怪我で引退を考えていた木原さんにとって、三浦さんとの出会いはまさに競技人生の大きな転機となりました。
木原龍一は五輪4大会に出場
木原龍一さんは、2014年から2026年まで4大会連続で冬季五輪に出場しています。
- 2014年:ソチ冬季五輪・高橋成美とのペア
- 2018年:平昌冬季五輪・須崎海羽とのペア
- 2022年:北京冬季五輪・三浦璃来とのペア
- 2026年:ミラノ・コルティナ冬季五輪・三浦璃来とのペア
ソチ、平昌では個人戦のフリーへ進むことができませんでしたが、三浦璃来さんと組んでから成績は大きく変わります。
北京五輪でペア日本勢初の入賞
2022年北京冬季五輪では、三浦璃来さんとのペアで7位に入りました。
日本人ペアとして初めて五輪で入賞する快挙となり、団体戦でも銀メダルを獲得しています。
さらに2022-23シーズンにはグランプリファイナル、四大陸選手権、世界選手権を制覇。
日本ペアとして初めて年間グランドスラムを達成しました。
2026年ミラノ五輪で金メダル
木原龍一さんの4度目の五輪となった2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪。
ショートプログラムではミスがあり、5位からのスタートとなりました。
しかし、フリーでは三浦璃来さんと会心の演技を披露。
フリー158.13点という世界歴代最高得点を記録し、総合231.24点で大逆転優勝を果たしました。
フィギュアスケート・ペアで日本勢が五輪金メダルを獲得したのは史上初です。
2013年にペアへ転向してから13年。
かつて自分はペアに向いていないのではないかと悩んだ木原さんが、ついに世界の頂点へたどり着きました。
木原龍一はなぜ現役引退した?
木原龍一さんと三浦璃来さんは、2026年4月に競技生活からの現役引退を発表しました。
2人は2025年の世界選手権で2度目の優勝を果たした頃から、このシーズンが最後になる可能性を感じていたといいます。
ミラノ・コルティナ五輪のショートプログラムを5位で終えた時には、悔しさからもう4年間続けることも話したそうです。
しかし、フリーですべてを出し切り、五輪金メダルという最高の結果を獲得。
木原さんは五輪を終えた時点で「やり切った」という気持ちになり、2人の間でも自然と引退への思いが一致しました。
引退会見では開始直後から涙
2026年4月28日に行われた引退会見では、三浦璃来さんが話し始めた直後から木原龍一さんが涙を流す場面もありました。
約30年以上にわたる自身のスケート人生、そして三浦さんと過ごした7年間を振り返り、支えてくれた多くの人への感謝を語っています。
4歳で始めたスケートから、男子シングル、ペア転向、3人のパートナー、4度の五輪。
決して順風満帆ではなかったからこそ、最後に手にした金メダルと引退は木原さんにとって大きな節目となりました。
木原龍一の現在は?
木原龍一さんは競技生活を引退しましたが、現在もプロスケーターとしてスケートを続けています。
アイスショーなどで三浦璃来さんとペアの演技を披露しながら、フィギュアスケート・ペアの魅力を広める活動にも取り組んでいます。
将来的には三浦さんとともに指導者を目指す考えも明かしており、日本各地でペア競技を普及させる構想もあります。
2026年8月23日には、長年のペアパートナーだった三浦璃来さんとの婚約も発表しました。
競技パートナーとして世界一になった2人は、現役引退後もプロスケーターとして、そして人生のパートナーとして新しい道を歩み始めています。
まとめ
今回は、木原龍一さんの生い立ちや経歴、学歴、家族構成、ペア転向から引退までの歩みをまとめました。
- 1992年8月22日に愛知県東海市で生まれた
- 活発な子供で、母親が連れて行ったことをきっかけに4歳からスケートを始めた
- 名和小学校、名和中学校、中京大学附属中京高校、中京大学へ進学
- 男子シングルでは全日本ジュニア2位、世界ジュニア10位などの実績を残した
- 20歳で男子シングルからペアへ転向
- ペア転向時には父親と母親も大きな決断を支えた
- 高橋成美、須崎海羽、三浦璃来の3人とペアを組んだ
- ソチ、平昌、北京、ミラノ・コルティナと4大会連続で五輪に出場
- 2019年には怪我などから引退を考えていた
- 三浦璃来との出会いをきっかけに世界トップのペアへ成長
- 2026年ミラノ・コルティナ五輪で日本ペア初の金メダルを獲得
- 2026年4月に競技生活から引退
- 現在はプロスケーターとして活動し、将来は指導者も目指している
4歳で始めたスケートから30年以上、木原龍一さんの競技人生には何度も大きな転機がありました。
20歳でのペア転向、怪我による引退危機を乗り越え、4度目の五輪でたどり着いた金メダルは、長く挑戦を続けてきた木原さんだからこそつかめた結果だったのでしょう。
競技生活には一区切りをつけましたが、今後はプロスケーターや指導者として、日本のペア競技を支える存在になっていきそうです。


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