寿美花代さんの家族構成!夫・高島忠夫や子供・宝塚時代の経歴・死因と追悼コメントも

元宝塚歌劇団の星組男役トップスターとして活躍した寿美花代さんが、2026年8月3日に94歳で亡くなりました。

宝塚退団後は俳優の高島忠夫さんと結婚し、俳優の髙嶋政宏さん、髙嶋政伸さんを育てた「髙嶋家の母」としても親しまれてきました。

この記事では、寿美花代さんの夫や子供などの家族構成、宝塚時代からの経歴、死因、ご家族が発表した追悼コメントについてまとめます。

目次

寿美花代さんの家族構成は夫・高島忠夫さんと3人の息子

寿美花代さんは、夫の高島忠夫さんとの間に3人の男の子をもうけています。

  • 夫:高島忠夫さん
  • 長男:道夫さん
  • 次男:髙嶋政宏さん
  • 三男:髙嶋政伸さん

夫と息子2人が俳優として活躍していることから、寿美花代さん一家は「高島ファミリー」と呼ばれ、お茶の間でも広く知られてきました。

夫は俳優の高島忠夫さん

寿美花代さんの夫は、俳優や司会者として活躍した高島忠夫さんです。

2人は舞台での共演などを通じて距離を縮め、寿美花代さんが宝塚歌劇団を退団した1963年に結婚しました。

結婚後は、料理番組「ごちそうさま」で夫婦そろって司会を担当。

1971年から1997年まで26年間にわたって出演し、明るく息の合った掛け合いで人気を集めました。

華やかな芸能一家として知られる一方、高島忠夫さんがうつ病などで長期療養した際には、寿美花代さんがそばで支え続けました。

高島忠夫さんは2019年6月、老衰のため88歳で亡くなっています。

長い結婚生活のなかで楽しい時間だけでなく、病気や家族の悲しみも一緒に乗り越えてきた夫婦でした。

長男・道夫さんは生後5か月で亡くなる

寿美花代さんと高島忠夫さんの最初の子供は、長男の道夫さんです。

しかし、道夫さんは1964年、生後5か月のときに自宅で起きた事件によって亡くなりました。

幼い子供を失うという言葉では表せないほどの悲しみに見舞われながらも、夫婦は支え合い、その後に誕生した政宏さんと政伸さんを育てました。

追悼記事としては事件の詳細を掘り下げるよりも、夫妻が深い悲しみを抱えながら家族を守ってきたことに触れるのが自然でしょう。

次男は俳優の髙嶋政宏さん

次男の髙嶋政宏さんは1965年10月29日生まれで、俳優として映画やドラマ、舞台などで幅広く活躍しています。

力強い演技に加え、バラエティー番組で見せる飾らない人柄でも親しまれてきました。

2005年には、女優で歌手のシルビア・グラブさんと結婚しています。

寿美花代さんの最期には立ち会えなかったものの、亡くなる数日前には病院を訪れ、母親と顔を合わせていました。

三男は俳優の髙嶋政伸さん

三男の髙嶋政伸さんは1966年10月27日生まれです。

ドラマ「HOTEL」などで注目され、その後も数多くの作品で個性的な役柄を演じてきました。

髙嶋政伸さんは2015年に一般女性と再婚し、2017年には子供が誕生しています。

寿美花代さんにとっては待望の孫であり、晩年は子供だけでなく孫にも囲まれて過ごしていたようです。

寿美花代さんの宝塚時代からの経歴

寿美花代さんは、戦後の宝塚歌劇団を代表する男役スターの一人でした。

  • 本名:髙嶋節子
  • 生年月日:1932年2月6日
  • 出身地:兵庫県西宮市
  • 学歴:宝塚音楽学校卒業
  • 所属:宝塚歌劇団35期生
  • 役柄:男役
  • 主な所属組:星組

1948年に宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団へ35期生として入団。

同年の「春のをどり」で初舞台を踏みました。

1951年の「蜜蜂の冒険」で少年役を演じたことをきっかけに男役へ進み、1952年の「猿飛佐助」で初主演を務めています。

美しい容姿とよく通る歌声を武器に人気を集め、星組の男役トップスターとして活躍しました。

代表作「華麗なる千拍子」で芸術祭賞

寿美花代さんの宝塚時代を代表する作品が、1960年に上演された「華麗なる千拍子」です。

同作品は芸術祭賞を受賞し、華やかなレビューの中心に立つ寿美花代さんの姿は、多くの観客の記憶に残りました。

宝塚在団中には映画にも出演し、1961年公開の「新源氏物語」では市川雷蔵さんと共演。

同年にはNHK紅白歌合戦にも出場するなど、舞台の枠を超えて活躍の場を広げていきました。

1963年の「タカラジェンヌに栄光あれ」を最後に宝塚歌劇団を退団し、同年に高島忠夫さんと結婚しています。

宝塚歌劇団の殿堂入りも果たす

宝塚退団後は、女優やタレント、司会者としてテレビを中心に活動しました。

2014年には宝塚歌劇団の創立100周年を記念して設けられた「宝塚歌劇の殿堂」に選ばれています。

同年4月には「宝塚歌劇団100周年夢の祭典~時を奏でるスミレの花たち~」に出演。

82歳で立ったこの舞台が、寿美花代さんにとって最後の公の場となりました。

青春時代をささげた宝塚への思いは生涯変わらず、家族と宝塚を心から愛した人生だったことが伝わってきます。

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寿美花代さんの死因は老衰

寿美花代さんの死因は、所属事務所から「老衰」と発表されています。

  • 亡くなった日:2026年8月3日
  • 死亡時刻:午前4時43分
  • 年齢:94歳
  • 死因:老衰
  • 訃報発表日:2026年8月6日

2026年8月6日に家族葬が執り行われ、お別れの会などを開催する予定はないと発表されました。

次男の髙嶋政宏さんによると、寿美花代さんはここ数年、誤嚥性肺炎による入退院を繰り返していたそうです。

亡くなる数日前には食べ物や飲み物をのみ込むことがほとんどできず、痰が詰まって苦しそうにする時間もあったといいます。

ただし、正式に発表された死因は誤嚥性肺炎ではなく老衰です。

長い人生を歩み、家族に見守られながら静かに旅立った寿美花代さん。

高島忠夫さんが亡くなってから約7年がたち、夫婦が再び一緒に過ごしていることを願う人も多いのではないでしょうか。

髙嶋政宏さんと髙嶋政伸さんの追悼コメント

寿美花代さんの訃報を受け、2人の息子がそれぞれ母親への思いを明かしています。

髙嶋政宏さん「最期の最期まで大女優」

髙嶋政宏さんは、母親の最期には立ち会えなかったと明かしています。

一方で、亡くなる数日前に病院を訪れており、苦しそうな姿を見ていたことから、現在は悲しみとともに「楽になって休んでいるのだろう」という安堵の気持ちもあると語りました。

入院中の寿美花代さんは、ときおり病院関係者が驚くほど大きな声で話していたそうです。

政宏さんは、舞台で鍛えられた母親の声量を振り返り、「最期の最期まで大女優寿美花代だった母でした」としのびました。

体が弱ってもなお、スターとしての存在感を失わなかった寿美花代さんらしさが伝わる言葉です。

髙嶋政伸さん「いつもユーモアを忘れない母」

髙嶋政伸さんは、寿美花代さんの最期の様子について、子供や孫に囲まれていたことを明かしました。

その場には、寿美花代さんと高島忠夫さんが好きだった歌手フリオ・イグレシアスさんの歌が流れていたといいます。

寿美花代さんは、美しく凛とした表情のまま、眠るように旅立ったそうです。

政伸さんは母親について、「いつもユーモアを忘れない明るく優しい母でした」と振り返りました。

華やかな舞台に立つ大スターでありながら、家庭では明るく優しい母親だった寿美花代さん。

息子たちの言葉からは、母親に対する深い尊敬と愛情がにじんでいます。

また、政伸さんは寿美花代さんを長年応援してきた人たちに対しても、心からの感謝を伝えています。

家族への思いだけでなく、宝塚時代から支えてきたファンを最後まで大切にする、髙嶋家らしい温かなコメントとなりました。

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まとめ

寿美花代さんの家族構成や宝塚時代の経歴、死因、追悼コメントについて紹介しました。

寿美花代さんは星組の男役トップスターとして活躍した後、高島忠夫さんと結婚。

夫婦で長寿料理番組の司会を務め、俳優となった髙嶋政宏さんと髙嶋政伸さんを育てました。

2026年8月3日に老衰のため94歳で亡くなり、最期は子供や孫に囲まれながら、眠るように旅立ったと伝えられています。

宝塚の舞台で輝いたスターであり、夫を支え続けた妻であり、家族を温かく見守った母でもあった寿美花代さん。

その華やかな笑顔と、家族とともに歩んだ姿は、これからも多くの人の記憶に残り続けることでしょう。

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