日本テレビのアナウンサー・菅谷大介(すがや だいすけ)さんが2025年11月8日に53歳で亡くなりました。
ニュースだけでなくバラエティやスポーツ中継でもおなじみのアナウンサーで
その落ち着いた声とやわらかな物腰に安心感を覚えていた方も多いと思います。
この記事では、公開されている情報をもとに菅谷大介アナのプロフィール・経歴・学歴・主な担当番組・名実況・人柄が伝わるエピソード、
すい臓がんの公表後の闘病と現場復帰、そして最後のインスタ投稿について静かに振り返っていきます。
菅谷大介アナとは
菅谷大介さんは、日本テレビ放送網に所属していたエグゼクティブアナウンサーです。
千葉県佐倉市出身で1997年に日本テレビへ入社。
ニュース番組や情報番組、バラエティに加え箱根駅伝やプロレス、ゴルフ、カーリングといったスポーツ中継まで本当に幅広いジャンルを担当してきました。
アナウンス部の管理職という立場でありながら最後まで現場に立ち続けた「マイクの前にいるエグゼクティブアナ」という印象が強い方でもあります。
表に立つ仕事と裏でチームを支える役割。
そのどちらも担ってきた大黒柱のような存在だったと言えそうです。
プロフィール
- 名前:菅谷 大介(すがや だいすけ)
- 生年月日:1971年11月19日
- 享年:53歳
- 出身地:千葉県佐倉市
- 身長:177cm
- 血液型:B型
- 所属:日本テレビ放送網 アナウンス部(エグゼクティブアナウンサー)
公式プロフィールでは「千葉県佐倉市出身」であることや同じ佐倉市出身の長嶋茂雄さんへの言及もあり地元への思いを大切にしていたことがわかります。
自分のルーツを穏やかに語る姿に親近感を覚えていた視聴者も多かったのではないでしょうか。
経歴
菅谷さんは1997年に日本テレビへ入社しました。
入社後は、
- 『TVおじゃマンボウ』
- 『ロンQ!ハイランド』
- 『NNNニュースダッシュ』
- 『NNNきょうの出来事』
- 『スッキリ!!』
- 『PON!』
- 『news every.サタデー』
など時代ごとの日テレを象徴する番組に数多く出演してきました。
朝の情報番組から夜のニュース、日中の生放送バラエティにまで顔を出し「どこかで必ず見かけるアナウンサー」という存在だったかもしれません。
その後はアナウンス部の管理職となり「担当部 次長」としてアナウンス室全体を支える立場に。
それでも現場に出続けニュースやスポーツ中継でマイクを握っていた姿からは言葉を届ける仕事への強い思いが感じられますね。
学歴
公開されている情報によると学歴は次の通りです。
- 高校:千葉県立千葉東高校
- 大学・大学院:国際基督教大学大学院(行政学研究科・国際関係論)
大学院で国際関係論を学んでいたこともあり国内ニュースだけでなく
海外情勢や政治・経済のニュースにも強いバックグラウンドを持っていたと考えられます。
ニュースを淡々と読み上げているように見えてその裏にはこうした専門的な学びがあったのだと思うと
一つひとつの言葉の重みも違って感じられますね。
主な担当番組と名実況
菅谷アナは、経歴のところで触れたようにニュース・情報番組に加えて、箱根駅伝やプロレス、ゴルフ、カーリングなど多くのスポーツ中継を担当してきました。
その中でも視聴者の記憶に残っている“名実況”がいくつかあります。
① 平昌オリンピック・女子パシュート「この瞬間は永遠だ!」
2018年平昌オリンピックのスピードスケート女子団体パシュート決勝で日本代表が金メダルを獲得した瞬間。
ゴールの瞬間に菅谷アナは、
「この瞬間は永遠だ!」
と声を上げました。
レース中は冷静に展開を追いかけながら最後の一瞬だけグッと感情を乗せて届けられたこの一言は多くの視聴者の心に残るフレーズとなりました。
選手たちの努力の時間、支えてきた人たちの思いすべてを包み込むような言葉だったのではないでしょうか。
② 箱根駅伝・駒澤大学優勝「天下無双の恩返し!」
すい臓がんを公表した後に臨んだ箱根駅伝では駒澤大学が優勝を決めたゴールシーンで、
「これが、大八木監督への、天下無双の恩返し!」
というフレーズを残しています。
長年チームを率いてきた大八木監督と選手たちとの関係性、積み重ねてきた時間を一言で表したような実況でした。
ただ結果を伝えるだけでなくその裏側にある“物語”まで一緒に届けようとする姿勢がうかがえます。
彼らしい実況スタイル
これらの実況からも分かるように菅谷アナのスタイルは、
- むやみに叫んで煽るのではなく試合の流れを丁寧に追う
- 勝負が決まる瞬間に選手や監督への敬意を込めた短いフレーズを添える
- その一言で試合の「意味」や「物語」をきゅっとまとめる
といったものだったように感じます。
派手さだけを狙うのではなく「ちゃんと中継をしながら、最後に一言で締める」。
そんな落ち着いた熱さがある実況だったからこそ時に賛否を呼びつつも長く語り継がれるシーンになっていったのかもしれません。
人柄が伝わるエピソード
報道やSNSに寄せられた声を見ていると菅谷アナの人柄が自然と浮かび上がってきます。
たとえば、
- 現場スタッフや選手への声かけが丁寧で常に周りへの気配りを忘れなかったこと
- 穏やかな雰囲気で後輩アナウンサーにとっても相談しやすい存在だったこと
- 病気を公表したあともユーモアを交えながら近況を発信し見る側を不安にさせないようにしていたこと
などが語られています。
すい臓がんを公表したときの文章にも自分の病気のことだけでなく同じように闘病している人やその家族、
支えてくれる周囲の人たちへの感謝の言葉が並んでいました。
常に「自分以外の誰か」に思いを向けていた人なのだろうなと感じさせられるエピソードです。
すい臓がん公表と闘病〜現場復帰まで
報道によれば菅谷アナは2022年1月にすい臓がんと診断され手術を受けました。
同年8月、自身のインスタグラムを開設しそこで初めて病気のことを公表しています。
闘病生活を送りながらも体調を見ながら徐々に現場へ復帰。
ニュース番組のスタジオやスポーツ中継の現場に戻り「がんサバイバー」として同じ病気と向き合う人に寄り添うようなメッセージも発信していました。
日本テレビの発表によると2025年11月7日も通常どおり勤務を終えて帰宅しその後に体調不良を訴えて救急搬送。
容体が急変し11月8日午後1時6分「消化管からの出血」により亡くなったとされています。
前日まで仕事の現場に立っていたという事実は胸が詰まる一方で、
「最後の最後まで、アナウンサーとしての役割を果たそうとしていたのだろう」
と感じさせる出来事でもあります。
最後のインスタ投稿とファン・業界の声
菅谷アナのインスタグラムでの最後の投稿は、2025年10月26日のものでした。
カーリング中継を担当している様子を同僚との写真とともに紹介した投稿です。
そこには、
- 「#がんサバイバー」
といったハッシュタグも添えられており病気と付き合いながらも前を向いて仕事に取り組んでいる姿が伝わってきます。
コメント欄には
「元気そうで安心しました」
「また声が聴けてうれしいです」
といった言葉が並んでいました。
訃報が伝わったあとこの最後の投稿には、
- 「信じられません」「あまりにも早すぎる」
- 「菅谷さんの実況が大好きでした」
- 「前向きな姿に勇気をもらっていました」
といった追悼のメッセージが一気に増えました。
同じ局のアナウンサーや番組関係者もSNSなどを通じて現場での姿勢や後輩への接し方、言葉への向き合い方を振り返るコメントを発信しています。
その一つひとつからどれほど周囲に信頼され愛されていたのかが伝わってくるようです。
まとめ
- 千葉県佐倉市出身の日本テレビ・エグゼクティブアナウンサー
- 千葉東高校から国際基督教大学大学院へ進み国際関係論を学んだ知的なバックグラウンド
- ニュース、情報番組、バラエティ、スポーツ中継と、多方面で活躍した“オールラウンダー”なアナウンサー
- 2022年にすい臓がんを公表し治療を続けながら現場に復帰
- 2025年11月、53歳という若さで急逝し多くの人に惜しまれながらこの世を去った
病気と向き合いながらも「声を届ける」という仕事を手放さなかった菅谷大介さん。
画面越しに耳にしてきた落ち着いた語りや少し照れたような笑顔、そして静かな熱を感じる実況はこれからも多くの人の記憶に残り続けるはずです。
心よりご冥福をお祈りするとともにこれまで届けてくださった数々の言葉と時間に静かに感謝を伝えたくなります。



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