【日大三高】野球部監督は誰?三木有造の経歴・実績・家族まとめ

日大三高は野球強豪校として知られ、甲子園常連校としても有名ですよね。

そこの監督をしているのが三木有造(みき ゆうぞう)さん。

この記事では、三木監督がどんな人物なのかを、プロフィールや経歴・実績、家族の話までまとめます。

あわせて、前任の小倉全由監督とのエピソードも見ていきましょう。

目次
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結論:【日大三高】野球部監督は三木有造|26年支えた“たたき上げ”

日大三高の硬式野球部を率いるのは、三木有造(みき ゆうぞう)監督です。

1999年に母校のコーチとして現場に入り、2011年からは部長。

そして2023年4月、監督に就任しました。

四半世紀を超える時間を、ずっと日大三のグラウンドで積み上げてきた人です。

名将・小倉全由監督のそばで“参謀”として支え続けた歩みが、そのまま説得力になっています。

就任後は結果でも存在感を見せました。

2025年夏の甲子園では準優勝。

受け継いだだけで終わらない。

勝負の舞台でも、きっちり形にしてみせた流れが見えてきます。

【日大三高】三木有造野球部監督のプロフィールまとめ

三木有造監督は、派手さよりも実直さが先に立つ人物として語られています。

周囲の評は、こんな感じです。

「感情を顔に出さないが秘める思いは強い」
「無口な兄貴分」

静かだけど、芯が強い。

そんな印象が残ります。

プロフィールはこちら。

  • 氏名:三木 有造(みき ゆうぞう)
  • 生年月日:1974年5月23日
  • 年齢:51歳(2026年2月時点)
  • 出身地:和歌山県
  • 居住地:東京都多摩市

前に出て大声で引っぱるというより、背中で引っぱるほうが似合う監督です。

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【日大三高】三木有造野球部監督の学歴・経歴まとめ

三木監督の経歴は、選手としての時間と指導者としての時間が一本の線でつながっています。

遠回りをせず、地に足のついた積み上げが続いている形です。

学歴(上京から日大三へ)

三木監督は、和歌山から家族で上京しています。

その後、日本大学第三中学校へ入学。

高校はそのまま日本大学第三高等学校へ進みました。

大学は東洋大学です。

1999年卒業。

4年生の時点で指導者の道を志し、教員免許を取得しています。

選手時代(挫折も含めた土台)

野球を始めたのは小学2年。

兄の影響が大きく、どんどんのめり込んでいったとされています。

高校時代は日大三の捕手で4番。

強豪校の中心としてプレーしました。

ただ、甲子園出場は叶いませんでした。

ここは本人の歩みを語るうえで、地味に大きいポイントです。

大学では肩の故障に苦しみます。

同級生には今岡誠さん(元阪神)らがいて、圧倒的な実力差を痛感。

そこで選手としての挫折を経験しました。

この悔しさが、のちに指導者としての腹の括り方につながっていきます。

指導者時代(1999年から現在まで)

指導者としての歩みは、分かりやすい年表になっています。

  • 1999年:日大三高のコーチに就任(小倉全由前監督からの誘いがきっかけ)
  • 2011年:野球部部長に就任
  • 2023年4月:監督に就任

監督就任時、三木監督は当初「小倉前監督と一緒に退くつもり」だったとされています。

それでも周囲の説得を受け、継承を決意しました。

このあたりに、三木監督の人柄が出ています。

【日大三高】三木有造野球部監督の実績まとめ

三木監督の実績は、「支えた時代」と「監督として結果を出した時代」の両方で語れます。

ここが面白いところです。

コーチ・部長時代

四半世紀にわたり小倉監督を支え、甲子園優勝2回に貢献。

表に立つより、勝つための土台を整える役割を担ってきました。

“勝てる強豪”の裏側にずっといた人という見方もできます。

監督就任後

監督としての戦績は、就任直後から動きがあります。

  • 2023年夏:就任1年目で西東京大会優勝。夏の甲子園出場(3回戦敗退)
  • 2024年夏:西東京大会準優勝
  • 2025年夏:甲子園準優勝

引き継いだだけでは、ここまで届きません。

勝負どころで上まで運んだ点が、いちばん重い実績です。

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【日大三高】三木有造野球部監督の家族構成まとめ

家族の話になると、監督の表情が少し柔らかく見えてきます。

  • 妻:20年近い交際を経て、2019年頃に結婚
  • 長男:琉真(りゅうま)くん。2025年時点で5歳

野球優先で、半年会えない時期もあったそうです。

それでも信じて支え続けた妻に、三木監督は「感謝しかない」と語っています。

息子のエピソードも、あたたかいです。

父の特注ユニホームを着て、アルプス席から全力応援。

そして三木家のねぎらいが「とうちゃん、おつかれやま!」。

この言葉だけで、家の空気が伝わってきます。

息子と遊ぶ時間は束の間の休息。

ただ、全力で遊ぶので「練習より疲れる」と笑う一面もあるようです。

【日大三高】三木有造野球部監督と前任小倉監督のエピソードまとめ

三木監督と小倉全由前監督の関係は、長い年月をかけて固まった師弟関係です。

「名将と参謀」という表現が、かなりしっくりきます。

1)出会いとコーチ就任

東洋大卒業を控え、教員免許取得のため大学に残っていた頃。

中学時代の恩師の紹介で小倉監督と出会います。

初対面なのに、小倉監督から「練習を手伝ってくれよ」と声をかけられた。

この一言がきっかけとなり1999年からコーチとして活動を始めました。

流れがドラマっぽいのに、やけに自然なんですよね。

2)参謀としての信頼

1999年からコーチ、2011年からは部長。

小倉監督は三木監督に厚い信頼を寄せ、試合中のポジショニング指示などを一任するほどでした。

象徴的なのが2006年の西東京大会決勝。

早稲田実業(斎藤佑樹さん)との一戦で三木監督の守備位置の指示が裏目に出て逆転を許します。

試合後、三木監督が謝罪すると小倉監督は「いいよ、いいよ」と返した。

その寛大さが、かえって強い責任感につながったといいます。

忘れられない敗戦が、そのまま今の細やかさになっている。

そう受け取れるエピソードです。

3)継承と監督就任

2023年、小倉監督が定年で勇退。

三木監督は当初、一緒に身を引くつもりでした。

ただ、説得を受けて継承を決意します。

バトンを渡す際、小倉監督から「三木らしくやれよ」と背中を押されました。

方針面では小倉監督の「練習は嘘をつかない」を引き継ぎつつ、三木監督は「ガッツ、気合、根性」という信念を重ねています。

三木監督自身、「小倉と二人で指導していた時から母校を率いるつもりで向き合ってきた」と語っています。

肩書きが変わっても、築き上げた空気は守り続けている流れです。

まとめ

日大三高野球部監督の三木有造さんは、1999年から現場で積み上げてきた“たたき上げ”。

小倉全由前監督のそばで四半世紀以上支え、2023年4月に監督へ就任しました。

監督としては、2025年夏の甲子園準優勝まで到達。

継承の物語に、結果がきちんと乗っています。

現場主義の指導、忘れられない敗戦の後悔、家族への感謝。

静かだけど芯が強い監督像が、いくつものエピソードから立ち上がってきます。

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