BreakingDownやREAL VALUEなどで存在感を見せている溝口勇児さん。
経営者としての顔を知っていても、家族構成や生い立ちまで知ると見え方がかなり変わった人も多いかもしれません。
実際、溝口さんはインタビューや本人発信の中で、かなり厳しい家庭環境で育ったことを語っています。
いまの強さや発信力の背景には、母と妹と過ごした幼少期や簡単ではなかった生活の積み重ねがあったようです。
溝口勇児の家族構成は?
まず家族構成から見ると、溝口勇児さんは幼少期に父・母・本人・妹の4人家族でした。
ただ、両親は溝口さんが3歳、妹が1歳のころに離婚していて、その後は母と妹との3人で暮らす母子家庭の生活になっています。
つまり家族構成としてよく注目されるのは父母を含めた4人ですが、
実際に育った環境としては母と妹との3人暮らしが大きな軸だったということになります。
この時点ですでに、かなり普通とは違う家庭事情があったことが伝わってきますね。
幼少期は母子家庭で育った
本人のインタビューでは、離婚後は母子家庭での生活になり、かなり厳しい暮らしだったことが語られています。
小学生のころから、母に「父親のつもりで生きろ」と言われていたそうで妹の食事を作ることもあったのだとか。
まだ子どもなのに、家の中ではすでに大人の役割を背負っていたわけです。
このあたりは、あとから読むほど重みが出てくる話でもあります。
後に腹違いの妹の存在も知っている
本人のnoteでは、父の死後に役所からの連絡などを通して、腹違いの妹がいたことを知ったとも書かれています。
ただ、これは幼少期に一緒に暮らしていた家族とは少し別の話です。
父親はどんな人だった?
父親についても、溝口さんはかなり率直に語っています。
父は自分の両親を知らず、孤児院で育ったそうです。
それだけでも重い背景ですが、その後は酒癖が悪く、仕事も長続きせず、借金も増えていったといいます。
両親が離婚したあと、溝口さんが父と会ったのは一度だけだったとも語られていました。
親子関係としては、かなり距離のあるまま時間が流れていったようです。
父は生活保護を受けながら亡くなった
本人のnoteでは、父が生活保護を受けている中で亡くなったことも明かされています。
しかも、その知らせは役所から届いたものでした。
幼いころからほとんど関わりがなかった父の最期を、そうした形で知ることになったわけで、かなり複雑な気持ちになったことは想像しやすいです。
ただ、そうした感情を感傷的に大きく語るというより事実として静かに書いているところが、かえって印象に残ります。
母親はかなり強烈な人物だった
母については溝口さん自身がインタビューや動画の中で、かなり印象的なエピソードを残しています。
まず、19歳で溝口さんを出産した若い母親だったことが明かされています。
しかも働き者で、朝はバイト、夜は水商売をしながら子どもたちを育てていた時期もあったようです。
生活を支えるために必死に働いていたことは確かですが、その一方でかなり奔放で激しい一面もあったようでした。
母は元暴走族だったと本人が語っている
YouTube対談などでは、溝口さん本人が母は元暴走族だったと語っています。
家には特攻服が飾ってあったとも話していて、かなり強烈な家庭の空気感が伝わってきます。
ダイヤモンド・オンラインでも、母はケンカが強く、周囲でもボスのような存在だったと振り返っていました。
学校の授業参観では、サングラスを掛けてウォークマンで音楽を聴いていたという話もあり、周囲からかなり目立つ存在だったようです。
子どもからすると、かなりしんどい場面も多かったのではないかと思ってしまいます。
母の恋人問題や駆け落ちもあった
これも本人が動画内で語っている話として知られていますが、母親に彼氏ができて駆け落ちのような形で家を空けることもあったそうです。
そのときには、わずかなお金だけ置いていなくなることもあったとされます。
幼い子どもにとって、それがどれだけ不安だったかは簡単に想像できますよね。
家族がいるのに、安心して甘えられる環境ではなかった。
そんな空気がにじむ話です。
現在は母と縁を切っていると語っている
『おかねチップス』系のインタビューでは、溝口さんが「いろいろあって母とも縁を切っている」という趣旨の発言をしています。
もちろん、そこに至るまでには本人にしか分からない積み重ねがあったはずです。
ただ、ここまでの生い立ちを見ていくと、そうした関係になっていても不思議ではないと感じた人もいたかもしれません。
妹との関係は?
溝口勇児さんの生い立ちを語るうえで、妹の存在はかなり大きいです。
母が働きに出ている時間が長かったため、溝口さんは小学生のころから妹の食事を用意していたといいます。
年齢だけ見ればまだ子どもなのに、家の中ではすでに兄というより半分親のような立場だったのかもしれません。
そう考えると、いま見える責任感の強さにも少し納得がいきます。
小学生のころから父親代わりを求められていた
母からは「父親のつもりで生きろ」と言われていたそうです。
この言葉、かなり重いですよね。
普通ならまだ守られる側の年齢なのに、守る側として振る舞うことを求められていたわけです。
妹との関係そのものを多く語っているわけではありませんが、このエピソードだけでも兄としての役割がかなり大きかったことは伝わってきます。
生い立ちはかなり壮絶だった
溝口さんは、自分の家庭をかなり厳しい環境だったと振り返っています。
父方にも母方にも頼れる親族はほとんどおらず、生活はかなり苦しかったようです。
しかも家庭は自己破産の経験もあり、経済的には本当に余裕がなかったことがうかがえます。
表に出ている成功だけを見ると見落としがちですが、土台になっている人生はかなりハードです。
周囲から浮いてしまう家庭環境だった
母が授業参観でかなり目立つ存在だったこともあり、周囲の親から距離を置かれることがあったようです。
本人も、そうした家庭環境の影響でいじめや嫌がらせを受けていたと語っています。
子ども自身にはどうにもできないことで孤立してしまうのは、かなりつらい話です。
しかも、本人によれば母の意向で特徴的な髪型をしていた時期もあり、外見の面でも浮いてしまっていたようでした。
家庭の事情と学校での立場、その両方がしんどかった時期だったのかもしれませんね。
少年時代は荒れていた時期もあった
本人が動画で語っている内容では、小学5年生で喫煙して問題になったことや転校初日に喧嘩して帰ってきたことなどもあったようです。
いわゆる荒れていた少年時代です。
ただ、これも単純に「やんちゃだった」で片づけるより、背景にあった家庭環境まで見たほうが流れは分かりやすいです。
そうならざるを得なかった空気も、少なからずあったのだろうと思います。
近所の人に助けられていた
一方で、かなり厳しい生活の中でも、周囲の大人に助けられた記憶も語られています。
近所のパン屋がパンの耳をくれたり、肉屋が鶏皮や焼き鳥を分けてくれたりしたこともあったそうです。
こういう話が入ると、ただ悲惨なだけではなく、その中で支えてくれた人もいたことが見えてきます。
少し救われる部分でもありますね。
高校はどこ?進学はどうだった?
高校については、埼玉県立朝霞西高校に通っていたとされる情報があります。
このあたりは本人の対談ベースで語られている内容として整理されることが多いです。
学生時代は身体能力が高く、体育教師を目指していたという話も出ています。
ただ、将来の進路は思うようには進みませんでした。
大学進学は保証人の問題で断念した
家庭が自己破産していて、頼れる親族もいなかったため奨学金の保証人を立てられなかったそうです。
そのため、大学進学は最初からかなり厳しい選択肢だったといいます。
努力や能力だけではどうにもならない壁にぶつかっていたわけで、この部分はかなり切ないです。
夢があっても、家庭の事情で進めない。
そういう現実を早い段階で突きつけられていたことになります。
人生の転機はトレーナーの仕事だった
そんな中で、溝口さんの人生を大きく変えたのがトレーナーの仕事でした。
高校在学中からフィットネスクラブで働き始め、人に必要とされる感覚をそこで初めて強く持ったそうです。
それまであまり褒められた経験がなかった中で、「ありがとう」と言われることが本当にうれしかったと語っています。
ここが大きな転機だったようです。
誰かの役に立てる感覚が原点になった
トレーナーとして働く中で、利用者に感謝される経験を重ねたことが、その後の行動原理につながっていったとされています。
いまの発信や事業の姿勢を見ていても、「誰かのために」という感覚がかなり強い人ですよね。
その原点が、苦しい時代のあとに出会った仕事の中にあったと思うと少し見え方が変わってきます。
現在の活躍につながる土台になっていた
溝口勇児さんはその後、トレーナーから起業家へと進みFiNCの創業やBreakingDownの再建などでも広く知られる存在になりました。
いま見えているのは経営者としての姿ですが、その根っこには、かなり壮絶な家庭環境と孤独な時期があったようです。
成功した今の姿だけを切り取ると強い人に見えますが、生い立ちまでたどると、また違った印象になります。
かなり早い段階から、簡単には倒れない土台が作られていたのかもしれません。
まとめ
- 溝口勇児さんは、幼少期に両親が離婚し、母と妹の3人で育った
- 父は孤児院育ちで、離婚後に会ったのは一度だけだったという
- 母は働き者だった一方でかなり強烈な人物で、元暴走族だったと本人が語っている
- 小学生のころから妹の世話をしていて、父親代わりの役割も求められていた
- 家庭は自己破産を経験し、大学進学も保証人の問題で断念した
- 高校在学中に出会ったトレーナーの仕事が、その後の人生の大きな転機になった
溝口勇児さんの家族構成を見ていくと、ただのプロフィールでは終わらない重さがあります。
いまの発信の強さは、こうした生い立ちの中で形作られてきたものなのかもしれません。


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