内藤沙月の生い立ちは?家出した過去や経歴・学歴・車いすの理由・夫との関係や娘殺害の動機も

車いすインフルエンサーとして活動していた内藤沙月被告が、生後3か月の娘を殺害した罪に問われています。

過去には自身の障がいや家出、歌舞伎町で働いた経験、結婚や出産についても発信していました。

内藤沙月被告の生い立ちから経歴・学歴、車いす生活の理由、夫との関係や娘殺害事件の背景まで詳しく見ていきます。

目次

内藤沙月の生い立ちは?幼少期から高校時代まで

内藤沙月被告は、生まれつき骨形成不全症を抱え、幼いころから車いすで生活してきました。

物心がつく前から車いすを使用しており、小学5年生から高校卒業まで特別支援学校に通っていたことを過去のインタビューで明かしています。

学校生活では、障がいがあることで周囲から見られる視線を強く意識する時期もあったといいます。

本人はもともと社交的な性格だったものの、思春期になるにつれて自分の障がいにコンプレックスを抱き、人との関わりを避けるようになったと振り返っています。

家庭内でも悩みを抱えていたようで、勉強で良い成績を取っても十分に認めてもらえないと感じていたことなどを語っていました。

こうした学校生活や家庭環境の中で、自分に自信を持てない時期が続いていたようです。

内藤沙月が家出したのはなぜ?高校3年生で家を出た過去

内藤沙月被告は高校3年生のとき、家族との衝突などをきっかけに家出した過去を明かしています。

本人によると、障がいをめぐる家族との考え方の違いや、それまで抱えてきた不満などが積み重なっていたといいます。

高校3年生のある夜、自暴自棄になり、荷物をまとめて自宅を出ました。

過去のインタビューでは、その後は当時暮らしていた家には戻っていないという趣旨の話もしています。

一方で、その後ずっと家族と絶縁していたわけではないようです。

2025年の妊娠時には、母親や妹が病院で医師からの説明を一緒に聞いてくれたことを本人が明かしています。

高校時代には大きな衝突があったものの、その後は母親や妹との交流が続いていたとみられます。

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内藤沙月の学歴は?特別支援学校から専門学校へ進学

内藤沙月被告の学歴については、学校名までは公表されていません。

時期学歴
小学5年生から高校卒業まで特別支援学校
高校卒業後医療系専門学校へ進学

高校卒業後は医療事務の仕事を目指し、医療系の専門学校へ進学しました。

この専門学校時代が、内藤被告にとって大きな転機になったといいます。

専門学校で知り合った友人たちと出かけるようになり、新宿や歌舞伎町へ遊びに行く機会も増えていきました。

それまで障がいを理由に周囲の視線を気にしていましたが、自分を特別扱いせずに接してくれる人たちと出会い、少しずつ本来の社交的な性格を取り戻していったようです。

なお、出身高校や専門学校の具体的な学校名については、現在までに本人や主要報道から明らかにされていません。

内藤沙月の経歴は?歌舞伎町からインフルエンサーになるまで

内藤沙月被告は、専門学校時代以降に歌舞伎町などへ足を運ぶようになり、その後キャバクラでも働いていました。

車いすを利用していることから、働ける店舗を見つけるまで苦労した経験も明かしています。

それでも「車いすだからできない」と決めつけられることへの抵抗があり、自分のできることに挑戦していったと語っていました。

時期主な経歴
高校卒業後医療系専門学校へ進学
専門学校時代以降歌舞伎町などで交流を広げる
その後キャバクラ勤務
2018年ごろからタレント・YouTube・SNS活動
その後車いすインフルエンサーとして活動

2018年ごろからは、YouTubeやSNSを中心とした発信活動も本格化させます。

「身長110cm」「車椅子女子」「元キャバ嬢」など、自身の特徴や経験を隠さず発信していました。

車いすでの生活や恋愛、ファッション、結婚生活など幅広い内容を公開し、障がいのある人とない人が関わる機会を増やしたいという思いも語っていました。

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内藤沙月が車いす生活になった理由は?

内藤沙月被告が車いすを使用しているのは、事故や大人になってからのけがが原因ではありません。

生まれつき「骨形成不全症」を患っており、物心がつく前から車いすを使用していました。

骨形成不全症は、骨がもろくなり、骨折や骨の変形などが起こりやすくなる病気です。

内藤被告は身長約110cmで、側弯症も抱えていることを明かしていました。

そのため、日常生活だけでなく妊娠や出産でも身体への負担が大きかったといいます。

2025年の妊娠後期には、お腹が大きくなったことで肺が圧迫され、息苦しさを感じることもあったと話しています。

自分で車いすをこぐことが難しくなる時期もあり、周囲のサポートを受けながら生活していました。

内藤沙月は死産と離婚も経験していた?

内藤沙月被告は、2025年に娘を出産する以前にも妊娠を経験しています。

2021年ごろには妊娠を公表していましたが、妊娠20週を過ぎた時期に死産を経験しました。

当時は妊娠を公表したことで、「子どもを産むべきではない」といった心ない言葉を向けられたこともあったといいます。

その後、当時の夫とは離婚しました。

本人のYouTubeでは、2024年から2025年にかけて離婚から約3年が経過したことにも触れていました。

死産と離婚を経験した後、新たな男性と出会い、再婚することになります。

内藤沙月の夫は誰?YouTubeの「AD君」との関係

内藤沙月被告の夫は一般男性で、本人のYouTubeでは「AD君」として登場していました。

本名や勤務先など詳しいプロフィールは公表されていません。

2人は2023年3月ごろに知り合ったとされ、内藤被告は2025年3月12日に入籍したことを発表しました。

その後、YouTubeでは「旦那はAD君です」と明かし、夫婦で出演する動画も公開しています。

旅行や新婚生活などを発信していたため、視聴者からは仲の良い夫婦という印象を持たれていたようです。

近隣住民からも、夫が内藤被告の車いすを押していた姿や、一緒に外出する姿を見かけたという証言が報じられていました。

内藤沙月と夫の関係に何があった?

一見すると仲の良い夫婦に見えていましたが、出産後には夫婦関係が悪化していたとみられています。

事件後には、内藤被告のものとみられるInstagramの過去投稿がSNS上で拡散されました。

そこには、妊娠中や出産後の夫の行動に対する不満が書かれていたと報じられています。

妊娠中に夫から髪をつかまれたとする主張や、つわりがひどい時期に夫が外出しようとしたことへの不満、育児や義母との関係についての投稿などもあったとされています。

ただし、これらは内藤被告側のSNS投稿をもとにした内容です。

夫側の詳しい説明や、投稿に書かれていた内容がすべて客観的に確認されたわけではありません。

そのため、夫婦間で実際に何があったのかについては、一方の主張だけで断定することはできません。

事件直前には夫への感謝も語っていた?

夫婦関係の悪化がうかがえる一方で、事件直前のインタビューでは夫への感謝も語っていました。

2025年10月に公開されたインタビューでは、妊娠中に夫が家事を手伝ってくれたことや、妊婦健診に付き添ってくれたことなどを話しています。

身体への負担が大きくなった妊娠後期には、夫が車いすを押してくれることもあったといいます。

事件のわずか数週間前までは、公の場で夫への感謝を語っていたことになります。

そのため、YouTubeやインタビューで見えていた夫婦像と、実際の夫婦関係には大きな隔たりがあった可能性があります。

内藤沙月は2025年に娘を出産していた

内藤沙月被告は2025年に第1子となる娘を出産しました。

前回の妊娠で誹謗中傷を受けたうえに死産を経験していたため、今回は妊娠中には公表しませんでした。

無事に出産してから時間を置いて、2025年9月にYouTubeなどで出産を報告しています。

骨形成不全症には遺伝の可能性があるため、本人も娘への遺伝を心配していたといいます。

出産後には、娘に骨形成不全症が遺伝していないことが分かったと明かしていました。

本人は、娘が大きくなったときに、車いすに乗っていても他の母親と変わらず愛情を注いでもらったと思ってほしいという趣旨の思いも語っています。

長年望んでいた母親になった喜びを発信していた中で、その数か月後に事件が起きました。

内藤沙月はなぜ娘を殺害した?事件までに何があった?

内藤沙月被告が娘を殺害した背景には、夫との離婚や親権をめぐる問題があったとされています。

事件は2025年11月3日夜から翌4日朝にかけて、東京都世田谷区の自宅で起きました。

生後3か月だった長女が浴室で刃物によって傷つけられ、死亡しました。

翌朝、内藤被告自身が110番通報し、警察官が自宅に駆けつけたことで事件が発覚しています。

事件の数日前には、夫との間で娘の親権をめぐるトラブルがあり、警察が対応する場面もあったと報じられています。

夫婦は離婚に向けて話し合っており、娘については夫側が引き取る方向で話が進んでいたとされています。

内藤被告は逮捕後、親権を取られるくらいなら娘を殺して自分も死のうと思ったという趣旨の供述をしたと報じられました。

初公判では何が明らかになった?

2026年10月21日に開かれた初公判では、事件当時の状況や内藤被告側の主張が新たに明らかになりました。

内藤被告は裁判で起訴内容を認めています。

検察側は、娘の体に鋭利な刃物による傷が計67か所あったと指摘しました。

事件直後の報道では十数か所の傷とされていましたが、裁判ではさらに詳しい状況が明らかになっています。

一方、弁護側は、夫との離婚や娘の親権問題によって内藤被告が精神的に追い詰められ、無理心中を図ったと主張しました。

さらに、行政から適切な支援を受けられなかったという点も主張しています。

内藤被告本人も、娘と離れずにいるためには一緒に死ぬしかないと考えたという趣旨の説明をしています。

ただし、夫婦関係や行政支援が事件にどのように影響したのかについては、弁護側の主張も含まれています。

事件に至った詳しい経緯については、今後の裁判でも審理されることになります。

内藤沙月の事件に対するSNSの反応は?

内藤沙月被告の事件をめぐって、SNSではさまざまな意見が寄せられています。

特に多く見られるのが、「親権を取られることと娘の命を奪うことは別」「子どもは親の所有物ではない」といった厳しい声です。

「生後3か月の赤ちゃんがあまりにもかわいそう」「どんな事情があっても子どもの命を奪う理由にはならない」という反応も目立ちました。

一方で、「夫婦関係がどこまで悪化していたのか」「事件前に誰かが支援できなかったのか」と、事件に至るまでの環境を問題視する声もあります。

初公判で弁護側が行政による支援について言及したことで、警察や行政が事件前の家庭状況をどこまで把握していたのかにも関心が集まっています。

ただし、SNS上には事実確認されていない情報や推測も多く流れています。

特に夫婦関係については本人側の投稿だけで語られている内容もあるため、確定した事実とSNS上の主張を分けて見る必要があります。

まとめ

内藤沙月被告は、生まれつき骨形成不全症を患い、物心がつく前から車いすで生活してきました。

小学5年生から高校卒業まで特別支援学校に通い、高校3年生では家族との衝突などから家出を経験しています。

高校卒業後は医療系専門学校へ進学し、その後は歌舞伎町のキャバクラ勤務やタレント活動を経て、車いすインフルエンサーとして発信を続けていました。

一度目の妊娠では死産を経験し、その後離婚しましたが、再婚後の2025年には娘を出産しています。

ところが出産から数か月後には夫との離婚や親権問題が深刻化し、娘が殺害される事件へと発展しました。

初公判では、内藤被告が起訴内容を認める一方、弁護側は離婚や親権問題で追い詰められた末の無理心中だったと主張しています。

これまでSNSなどで見せてきた姿の裏で夫婦関係や生活環境に何が起きていたのか、今後の裁判でも事件に至った経緯が注目されます。

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