2026年のプロ野球ドラフトで上位候補として注目されている、関西大学の左腕・米沢友翔投手。
石川県珠洲市で育った米沢投手ですが、野球を始めるきっかけとなった父親や、苦しい時期を支えた母親、兄弟についても注目が集まっています。
今回は米沢友翔投手の父親・母親や兄弟など家族構成を中心に、石川県での生い立ちや経歴・学歴について詳しく見ていきます。
米沢友翔の父親・母親はどんな人?
米沢友翔投手の父親は野球経験者で、母親とともに息子の野球人生を支えてきた人物です。
父親と母親の名前や年齢、職業などは公表されていませんが、本人のインタビューから家族との関係がたびたび語られています。
特に2024年の能登半島地震で被災した際には、両親からかけられた言葉が米沢投手の大きな支えになりました。
父親は野球経験者
米沢友翔投手が野球を始めるきっかけの一つとなったのが、父親の存在です。
父親自身も野球をしており、その影響もあって米沢投手は小学2年生から野球を始めました。
幼いころから野球が大好きで、ゲームで遊ぶことはほとんどなく、家の前でキャッチボールをするような少年だったといいます。
父親がどこの学校やチームで野球をしていたのかなど、詳しい野球歴については明らかになっていません。
それでも現在ドラフト上位候補まで成長した米沢投手にとって、野球との最初の接点を作った人物の一人が父親だったことが分かります。
母親の名前や職業は?
米沢友翔投手の母親については、名前や年齢、職業など詳しいプロフィールは公表されていません。
一方で、父親とともに米沢投手を支えてきた存在であることは本人の言葉から伝わってきます。
米沢投手は大学時代に左肩や左肘を痛め、思うように野球ができない期間を経験しました。
さらに大学1年の冬には、帰省していた石川県珠洲市で能登半島地震に遭っています。
野球どころではない地元の状況を目の当たりにし、一時は大阪へ戻ることにも迷いがあったそうです。
そんな米沢投手に、両親は「こっちはこっちでなんとかするから、野球をしてこい」という趣旨の言葉をかけて送り出しました。
米沢投手はその言葉を忘れず、ドラフトを前に「お父さんとお母さんに恩返しができるように」と語っています。
米沢友翔の兄弟など家族構成は?
米沢友翔投手は3きょうだいの長男で、弟と妹がいます。
関西大学が公開しているプロフィールでは、弟は大学で準硬式野球部、妹はテニス部に所属していることが明らかになっています。
| 続柄 | 公表されている情報 |
|---|---|
| 父親 | 野球経験者 |
| 母親 | 名前・職業などは非公表 |
| 本人 | 米沢友翔・3きょうだいの長男 |
| 弟 | 大学で準硬式野球部に所属 |
| 妹 | テニス部に所属 |
弟も野球を続けていることから、兄弟そろって父親の影響を受けている可能性もありそうです。
ただし、弟と妹の名前や年齢、学校名などは公表されていません。
兄は硬式野球、弟は準硬式野球、妹はテニスと、スポーツに親しむ家庭で育ったことがうかがえます。
米沢友翔と家族は能登半島地震で被災
米沢友翔投手と家族にとって大きな出来事となったのが、2024年1月1日に発生した能登半島地震です。
当時大学1年だった米沢投手は、年末年始で石川県珠洲市の実家へ帰省していました。
珠洲市は最大震度6強を記録し、米沢投手の実家も壁が剥がれたり、ひびが入ったり、食器が割れたりする被害を受けました。
米沢投手自身も避難所となった小学校で三が日を過ごしています。
地元の被害を目の前にして、当時は野球のことを考えられる状況ではなかったと振り返っています。
それでも両親は、道路が通れるようになるとの情報が入ると、米沢投手を大学のある大阪へ送り出しました。
地元に残る両親が頑張っているなら自分も野球を頑張らなければならないと、再び大学野球へ向き合うきっかけになったといいます。
その後も肩や肘の故障に苦しみましたが、震災のときに両親からかけられた言葉が心に残り続けていたそうです。
ドラフト上位候補まで成長した現在も、米沢投手が地元・珠洲市と家族への思いを強く持っている理由が伝わるエピソードです。
米沢友翔のプロフィールは?
米沢友翔投手は石川県珠洲市出身で、関西大学体育会野球部に所属する左腕投手です。
| 名前 | 米沢友翔(よねざわ・ゆうと) |
|---|---|
| 生年月日 | 2004年6月1日 |
| 年齢 | 22歳(2026年10月現在) |
| 出身地 | 石川県珠洲市 |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 約80~81kg |
| 投打 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| 出身中学校 | 珠洲市立緑ヶ丘中学校 |
| 出身高校 | 金沢高校 |
| 大学 | 関西大学 |
| 学部 | 人間健康学部 |
最速149kmのストレートを投げる左腕で、スライダーやカーブ、チェンジアップ、スプリットなど複数の変化球を操ります。
2026年には大学日本代表にも選ばれ、大学球界を代表する左腕の一人として注目されるようになりました。
米沢友翔の学歴は?
米沢友翔投手は石川県珠洲市で育ち、地元の中学校から金沢高校へ進み、その後は大阪府にある関西大学へ進学しています。
珠洲市立緑ヶ丘中学校
米沢友翔投手は珠洲市立緑ヶ丘中学校の出身です。
中学校では軟式野球部に所属し、投手や外野手としてプレーしました。
小学生のころからプロ野球選手への憧れを持っていた米沢投手にとって、このころから投手としての経験を積んでいくことになります。
金沢高校
中学校卒業後は、石川県内の強豪として知られる金沢高校へ進学しました。
1年秋にはレフトとしてレギュラーをつかみ、投手としても徐々に出場機会を増やしていきます。
2年春から先発を任され、同年夏の石川県大会では準優勝を経験しました。
2年秋からはエースとなり、3年春にも県大会準優勝を経験しています。
最後の夏はベスト16で敗退し、高校3年間で甲子園への出場はありませんでした。
高校時代にはストレートの最速が141kmまで伸びた一方、肩の故障にも苦しみました。
プロへの思いはあったものの、当時はまだ自分の実力が足りないと考え、大学で野球を続ける道を選んでいます。
関西大学人間健康学部
金沢高校卒業後は、関西大学人間健康学部へ進学しました。
大学では1年秋からリーグ戦のマウンドを経験しています。
しかし大学2年時には左肩、3年時には左肘を痛めるなど、長期間にわたって故障に苦しみました。
一時は大学で野球を終えることまで考えたといいます。
それでもリハビリを続け、大学最後の年となった2026年に本格的なブレークを果たしました。
米沢友翔の経歴は?
米沢友翔投手の経歴で特に大きな転機となったのが、関西大学4年となった2026年です。
春の関西学生野球リーグでは4勝を挙げ、チームの優勝に貢献しました。
自身も最優秀選手に選ばれ、一気にプロ球団から注目される存在となります。
さらに6月の全日本大学野球選手権では3勝を挙げ、関西大学を54年ぶりの日本一へ導きました。
大会では最高殊勲選手賞を受賞し、全国的にも名前が知られるようになります。
その後は侍ジャパン大学日本代表にも選出され、大学球界を代表する投手の一人に成長しました。
2026年10月22日のドラフト会議を前に、複数の報道でドラフト1位候補や上位候補として名前が挙がっています。
本人も関西大学の先輩である金丸夢斗投手と同じように、1位指名でプロ入りしたいという思いを語っています。
まとめ
米沢友翔投手の父親は野球経験者で、米沢投手が小学2年生から野球を始めるきっかけの一つになりました。
母親の名前や職業などは公表されていませんが、父親とともに能登半島地震や故障に苦しむ息子を支えてきた存在です。
米沢投手は3きょうだいの長男で、弟は大学の準硬式野球部、妹はテニス部に所属しています。
石川県珠洲市から金沢高校、関西大学へと進み、故障や震災を経験しながら大学4年で大きく飛躍しました。
家族や地元への恩返しを胸にドラフトを迎える米沢友翔投手が、プロの舞台でどのような投球を見せるのか注目されます。


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