元阪急ブレーブスの投手で、長年オリックスを裏方として支えた松本正志さんが67歳で亡くなりました。
高校時代には甲子園優勝投手となり、ドラフト1位でプロ入りした松本さんですが、妻や子供など家族についても気になるところです。
今回は松本正志さんの家族構成をはじめ、経歴・学歴、甲子園での戦績や死因についてまとめます。
松本正志の妻や子供など家族構成は?
松本正志さんは、現役時代から長い野球人生を家族に支えられてきました。
公表されている情報から、松本さんには妻と娘がおり、孫もいることが分かっています。
- 妻
- 娘
- 孫
妻や娘、孫の名前や年齢など詳しいプロフィールは公表されていません。
ただ、松本さん本人が過去の取材で妻との結婚や娘について語っており、家族との印象的なエピソードが残されています。
妻とは1984年に結婚
松本正志さんは1984年に結婚しています。
1984年は阪急ブレーブスがリーグ優勝した年でもあり、松本さんにとって公私ともに大きな節目となった年でした。
結婚式では、当時阪急を率いていた上田利治監督にバージンロードを歩いてもらったというエピソードも明かされています。
一方、結婚までの道のりは決して順調ではなかったようです。
当時の松本さんはプロ入り後に思うような成績を残せず、妻の両親から結婚を反対されていたといいます。
妻の両親から別の仕事を紹介するという話もあったそうですが、妻は松本さんが野球の世界に残ることを後押ししました。
松本さん自身も後年、しっかりとした考えを持つ妻について感謝の気持ちを語っています。
子供は娘がいる
松本正志さんには娘が1人いることが確認されています。
松本さんが28歳で現役を引退した1987年ごろ、娘が生まれるタイミングだったことを本人が振り返っています。
甲子園優勝投手、ドラフト1位という華々しい経歴を持ちながら、プロでは思うような成績を残せず現役を退いた松本さん。
当時は同年代の選手たちが第一線で活躍している姿を見ることに複雑な思いもあったそうです。
それでも家族を支えるため、翌1988年から球団スタッフとして新たな野球人生をスタートさせました。
孫と優勝旅行にも参加
松本正志さんには孫がいることも明らかになっています。
オリックスがリーグ3連覇を達成した後には、家族や孫と一緒にハワイへの優勝旅行にも参加しています。
選手としてだけでなく、球団スタッフとして長年チームを支え続けた松本さんにとって、家族とともに参加した優勝旅行は特別な思い出になったのではないでしょうか。
松本正志のプロフィール・経歴
ここからは、松本正志さんが歩んできた野球人生を振り返ります。
| 名前 | 松本正志(まつもと しょうじ) |
|---|---|
| 生年月日 | 1959年4月2日 |
| 没年月日 | 2026年10月8日 |
| 享年 | 67歳 |
| 出身 | 兵庫県 |
| 投打 | 左投左打 |
| ポジション | 投手 |
| 出身高校 | 東洋大学附属姫路高校 |
| ドラフト | 1977年ドラフト1位 |
| 所属 | 阪急ブレーブス |
松本正志さんは高校時代から全国的に知られた左腕投手でした。
1977年夏には東洋大姫路高校のエースとして全国制覇を達成。
同年秋のドラフト会議で阪急ブレーブスから1位指名を受け、高校卒業後にプロ入りしています。
1978年には高卒1年目ながら一軍で登板し、日本シリーズにも出場しました。
しかし、その後はフォームの変更や肩・肘の故障などにも苦しみ、期待されたほど一軍で結果を残すことはできませんでした。
プロ通算成績は32試合登板、1勝3敗、防御率6.83。
1987年限りで現役を引退しています。
引退後は36年間用具担当としてオリックスを支える
松本正志さんの野球人生は、現役引退後も続きました。
1988年から阪急の球団スタッフとなり、打撃投手や用具担当としてチームを支えます。
その後、球団が阪急からオリックスへ変わってからも在籍し続けました。
現役10年間とスタッフとしての36年間を合わせると、実に46年間にわたって同じ球団に携わったことになります。
選手のユニホームや道具の管理、遠征の準備など、表舞台からは見えにくい仕事を長年担当してきました。
2024年3月31日付でオリックスを退職し、46年間にわたるプロ野球人生に区切りをつけています。
松本正志の学歴は?
松本正志さんの学歴で確認できるのは、高校時代のものが中心です。
出身高校は東洋大学附属姫路高校です。
兵庫県を代表する高校野球の強豪校で、松本さんは左腕投手として早くから頭角を現しました。
1976年には2年生ながら春の選抜高校野球大会に出場し、チームはベスト4まで進出。
そして高校3年生となった1977年夏、松本さんはエースとして再び甲子園のマウンドに立つことになります。
なお、小学校や中学校については、現在までに広く公表された情報は確認できません。
松本正志の甲子園での戦績は?
松本正志さんを語るうえで欠かせないのが、1977年夏の甲子園です。
東洋大姫路のエースとしてチームを牽引し、同校を初の全国優勝へ導きました。
東洋大姫路の同大会での戦績は次の通りです。
| 試合 | 対戦相手 | 結果 |
|---|---|---|
| 1回戦 | 千葉商 | 4対0 |
| 2回戦 | 浜田 | 5対0 |
| 3回戦 | 豊見城 | 8対3 |
| 準決勝 | 今治西 | 1対0 |
| 決勝 | 東邦 | 4対1 |
特に注目されたのが決勝の東邦戦です。
東邦には当時1年生ながら「バンビ」の愛称で全国的な人気を集めていた坂本佳一投手がいました。
試合は1対1のまま延長戦へ突入。
松本さんは延長10回まで1失点に抑える力投を見せ、10回裏に東洋大姫路の安井浩二さんがサヨナラ3ラン本塁打を放ちました。
これにより東洋大姫路が4対1で勝利し、全国制覇を達成。
松本さんは18歳にして甲子園優勝投手となりました。
松本正志はなぜプロで1勝だった?
甲子園優勝投手として大きな期待を背負ってプロ入りした松本正志さんですが、一軍で挙げた勝利は1勝でした。
本人は後年、プロ入り後にさまざまな指導を受け、それをすべて取り入れようとしたことで自分本来の投球フォームが分からなくなってしまったと振り返っています。
さらに肩や肘にも故障を抱えるようになり、高校時代のような投球を続けることが難しくなっていきました。
1980年にプロ初勝利を挙げたものの、その後は一軍で勝ち星を重ねることができませんでした。
それでも野球から離れることなく、現役後半には打撃投手も務め、引退後は用具担当として選手たちを支える道を選んでいます。
甲子園優勝やドラフト1位という華やかな経歴だけでなく、その後36年間にわたり裏方としてチームを支え続けたことも、松本さんの野球人生を象徴する経歴といえそうです。
松本正志の死因は?
松本正志さんの訃報は、2026年10月14日に発表されました。
松本さんは2026年10月8日に67歳で亡くなっています。
ただし、10月14日時点で具体的な死因や病名などは公表されていません。
そのため、病気だったのか、別の理由があったのかについて断定することはできません。
通夜と告別式は近親者のみですでに執り行われ、遺族の意向により香典や供花、供物についても辞退するとされています。
2024年に46年間勤めたオリックスを退職してから約2年半後の訃報となりました。
まとめ
今回は松本正志さんの妻や子供など家族構成、経歴・学歴、甲子園での戦績や死因についてまとめました。
松本さんは1984年に結婚し、妻との間には娘がいることが明らかになっています。また、孫にも恵まれ、オリックスの優勝旅行には家族とともに参加していました。
東洋大姫路高校では1977年夏の甲子園でエースとして全国制覇を達成し、同年ドラフト1位で阪急に入団。プロ通算1勝に終わったものの、引退後は36年間にわたって用具担当などを務め、選手とスタッフを合わせて46年間球団を支えました。
2026年10月8日に67歳で亡くなりましたが、現時点で詳しい死因は公表されていません。
表舞台と裏方の両方から長くプロ野球を支え続けた松本正志さんのご冥福をお祈りいたします。


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