2026年10月2日、愛知・名古屋アジア大会のレスリング女子76kg級で金メダルを獲得した鏡優翔選手。
実は右膝に大怪我を負いながら出場していたことを明かし、その競技人生や家族にも注目が集まっています。
今回は、鏡優翔選手の家族構成や経歴・学歴、そして大怪我を抱えながら金メダルを獲得した裏側について紹介します。
鏡優翔は何者?
鏡優翔選手は、2024年のパリ五輪でも金メダルを獲得した日本の女子レスリング選手です。
レスリング女子76kg級で、日本選手として初めて五輪金メダルを獲得したことで知られています。
まずはプロフィールを紹介します。
- 名前:鏡優翔(かがみ・ゆうか)
- 生年月日:2001年9月14日
- 年齢:25歳(2026年10月現在)
- 出生地:山形県山形市
- 育った場所:栃木県宇都宮市
- 身長:167cm
- 競技:レスリング
- 階級:女子76kg級
- 所属:サントリービバレッジソリューション
- 学歴:東洋大学卒業・東洋大学大学院
鏡選手は山形県山形市で生まれ、小学校入学の頃に家族で栃木県宇都宮市へ引っ越しました。
小学1年生からレスリングを始め、幼少期にはラグビーなどにも取り組んでいます。
レスリングでは小学生時代から全国大会で優勝するなど、早くから頭角を現していました。
その後、JOCエリートアカデミーに入校し、本格的に世界を目指すようになります。
2023年の世界選手権では女子76kg級で優勝し、2024年のパリ五輪でも金メダルを獲得しました。
そして2026年のアジア大会では、大怪我を抱えながら自身初となるアジア大会の金メダルを獲得しています。
明るい笑顔や、ひまわりが大好きなことでも知られており、金メダル獲得後に見せるひまわりポーズも印象的です。
2025年には自身の会社「株式会社KAWAII」を設立するなど、レスリング以外にも活動の幅を広げています。
鏡優翔の家族構成は?
鏡優翔選手の競技人生を語るうえで欠かせないのが、幼少期から支えてきた家族の存在です。
公表されている情報によると、鏡選手は父親・母親・兄・本人の4人家族です。
- 父親:鏡師博(のりひろ)さん
- 母親:鏡ひとみさん
- 兄:鏡隼翔(はやと)さん
- 本人:鏡優翔さん
父親と兄はレスリング経験者で、鏡選手が競技を始めるきっかけにもなりました。
2024年のパリ五輪では、家族が現地まで応援に駆けつけたことも話題になっています。
家族は鏡選手が大好きなひまわりを身に着け、父親と兄は顔にそれぞれの続柄を書いて応援していました。
海外の試合で家族がそろって応援するのは初めてだったそうです。
父親・鏡師博は自衛官でレスリング経験者
父親の鏡師博さんは、自衛官として勤務してきたレスリング経験者です。
幼い頃から鏡選手と兄に厳しいトレーニングを課し、身体能力の向上を支えてきました。
トレーニングの内容は、腕立て伏せや腹筋、ランニングなど。
レスリングに限らず、野球や水泳などにも挑戦させていたといいます。
しかし、当時の鏡選手にとっては、父親の練習メニューがかなり厳しかったようです。
兄と協力して練習をサボる方法を考え、ランニングをしたように見せかけるため、頭から水をかぶったこともありました。
そんな父親は、パリ五輪の応援席では顔に「父」と書いて娘を応援。
鏡選手は後に、父親や兄のユーモアのある応援を見て緊張が和らいだことを明かしています。
幼い頃には厳しい指導を受けたものの、現在も父親は鏡選手を支える大きな存在となっているようです。
母親・鏡ひとみはどんな人?
母親の鏡ひとみさんも、娘の競技人生を長年支えてきました。
鏡選手が大好きなひまわりも、母親の影響によるものだといいます。
太陽に向かって咲くひまわりのように、明るく前向きな姿勢を大切にしている鏡選手。
試合では、ひまわりをデザインしたアクセサリーなどを身に着けることもあります。
また、母親が作るおにぎりは、鏡選手にとって大切な勝負飯です。
2024年のパリ五輪では、母親も現地で応援していました。
家族そろってひまわりを身に着け、娘が金メダルを獲得する瞬間を見守っています。
競技だけでなく、食事や精神面でも母親の存在が大きな支えになっていることがうかがえます。
兄・鏡隼翔との関係は?
鏡選手には、3歳年上の兄・鏡隼翔さんがいます。
兄もレスリング経験者で、鏡選手が競技を始める直接のきっかけを作った人物です。
小学1年生の頃、兄のチームメイトの自宅を訪れた鏡選手は、部屋に並んでいた数多くのメダルやトロフィーに驚いたそうです。
自分も本物のメダルが欲しいと思ったことから、レスリングを始めました。
幼少期には兄妹で父親の厳しいトレーニングを受けており、ときには協力して練習をサボることもあったといいます。
2024年のパリ五輪では、兄も現地に駆けつけ、顔に「兄」と書いて妹を応援していました。
幼い頃からレスリングに取り組み、オリンピックで金メダルを獲得するまで、兄の存在は鏡選手にとって特別なものだったようです。
鏡優翔の経歴は?
鏡優翔選手は、小学生時代から全国大会で実績を積み重ね、世界の頂点に立ったレスリング選手です。
これまでの主な競技経歴を紹介します。
- 小学1年生:レスリングを始める
- 小学生時代:全国少年少女選手権で5度優勝
- 2016年:JOCエリートアカデミーに入校
- 2017年~2019年:インターハイ3連覇
- 2019年:世界ジュニア選手権優勝
- 2020年:全日本選手権女子76kg級優勝
- 2022年:世界選手権銅メダル
- 2023年:世界選手権金メダル
- 2024年:パリ五輪金メダル
- 2026年:愛知・名古屋アジア大会金メダル
幼少期から数々の大会で優勝してきた鏡選手ですが、順調な競技人生ばかりではありませんでした。
東京五輪の代表選考では敗退
鏡選手は2019年、東京五輪の代表入りを目指して階級を68kg級に変更しました。
しかし、代表選考につながる全日本選手権では初戦敗退。
東京五輪への出場は実現しませんでした。
その後は76kg級に戻し、2020年の全日本選手権で優勝しています。
2022年には世界選手権で銅メダルを獲得し、世界の強豪選手と渡り合う実力を証明しました。
2023年に世界選手権で優勝
2023年には世界選手権女子76kg級で初優勝を果たしました。
日本女子最重量級の選手として20年ぶりの世界選手権優勝でした。
しかし、この大会の約9か月前には右大胸筋を断裂する大怪我を経験しています。
手術とリハビリを乗り越えて世界の頂点に立ったことから、本人にとっても大きな意味を持つ優勝となりました。
2024年パリ五輪で日本史上初の快挙
2024年のパリ五輪では、レスリング女子76kg級で金メダルを獲得しました。
決勝ではアメリカのケネディ・アレクシス・ブレイズ選手と対戦。
3対1で勝利し、日本女子レスリング最重量級で初となる五輪金メダルを獲得しました。
鏡選手は得意の両足タックルを武器に、世界の強豪選手と戦ってきました。
幼い頃に抱いた本物のメダルが欲しいという夢は、ついにオリンピックの金メダルという形で実現したのです。
鏡優翔の学歴は?
鏡優翔選手は、競技力の向上と学業の両立にも取り組んできました。
これまでに通っていた学校は以下のとおりです。
- 小学校:宇都宮市立雀宮南小学校
- 中学校:宇都宮市立雀宮中学校から東京都北区立稲付中学校へ転校
- 高校:帝京高等学校
- 大学:東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科
- 大学院:東洋大学大学院
小学校・中学校時代
鏡選手は山形県山形市で生まれ、栃木県宇都宮市で育ちました。
宇都宮市立雀宮南小学校に通い、小学1年生からレスリングを始めています。
小学生時代にはラグビーにも取り組んでおり、後にレスリングで武器となるタックルにもつながったとされています。
中学校は地元の宇都宮市立雀宮中学校に進学しました。
その後、中学3年生となった2016年にJOCエリートアカデミーへ入校。
東京都北区立稲付中学校に転校し、本格的に世界を目指す環境に身を置きました。
高校時代
高校は東京都の帝京高等学校に進学しています。
高校時代もJOCエリートアカデミーで競技を続け、国内外の大会で実績を積み重ねました。
インターハイでは2017年から2019年まで3連覇を達成。
さらに2019年の世界ジュニア選手権でも優勝しています。
高校卒業時には、2024年のパリ五輪で金メダルを獲得することを目標に掲げていました。
大学・大学院時代
高校卒業後は東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科に進学しました。
進学の決め手となったのは、高校時代に参加した東洋大学レスリング部の練習環境でした。
鏡選手は、大学時代を振り返り、それまでの人生で最もレスリングを楽しめた4年間だったと語っています。
また、前田翔吾コーチとの出会いによって、技術を感覚だけでなく理論的に考えるようになったといいます。
2024年3月に大学を卒業し、その後は東洋大学大学院にも進学しました。
2026年には福祉分野の研究にも取り組んでいることが報じられています。
競技だけでなく、学業や自身の会社の経営にも活動の幅を広げています。
鏡優翔が大怪我を抱えて金メダルを獲得した裏側は?
2026年10月2日、鏡優翔選手は愛知・名古屋アジア大会のレスリング女子76kg級で金メダルを獲得しました。
しかし、試合後に明かされたのは、右膝の前十字靱帯を完全断裂していたという事実でした。
大会のおよそ1か月前、国内での練習中に負傷していたといいます。
周囲からは出場を見送って手術を受けるよう勧められていました。
それでも鏡選手は、今回のアジア大会に出場する意思を曲げませんでした。
右膝の前十字靱帯が完全断裂していた
今回の負傷で明らかになったのは、右膝の前十字靱帯の完全断裂です。
前十字靱帯は膝関節の安定性を保つ重要な靱帯で、急な方向転換や踏み込みなどの動作にも関係しています。
レスリングでは相手へのタックルや踏ん張る動作が求められるため、膝の安定性は重要です。
鏡選手は試合当日、右膝にテーピングを施して出場しました。
痛み止めの注射も打たずに試合に臨んでいたことを明かしています。
ただし、前十字靱帯が完全断裂した状態での競技には、膝の不安定性や二次的な損傷などのリスクがあります。
今回の金メダル獲得によって、怪我が治ったわけではありません。
準決勝・決勝で逆転勝利
アジア大会の初戦では、第1ピリオドにテクニカルスペリオリティー勝ちを収めました。
しかし、準決勝と決勝は厳しい試合となりました。
準決勝ではキルギスの選手と対戦し、逆転勝利を収めています。
決勝の相手は、カザフスタンのエルミラ・シズディコワ選手でした。
鏡選手は序盤に先制点を奪われ、0対1で第1ピリオドを終えました。
さらに試合途中には、右膝を痛めた様子を見せる場面もあり、会場が騒然となりました。
それでも第2ピリオドに入ると得点を重ね、最終的に5対1で逆転勝利。
女子最重量級では、2002年釜山大会の浜口京子さん以来となる日本勢のアジア大会金メダルを獲得しました。
試合後には、前十字靱帯を完全断裂していたことを明かし、自身の頑張りを称えていました。
出場を決断した理由には祖母の存在があった
大怪我を抱えながらも出場を決断した背景には、母方の祖母の存在がありました。
2026年のアジア大会は、日本国内で開催される国際総合大会です。
鏡選手は当初、怪我によって出場を迷っていました。
しかし、祖母が会場まで応援に来られることを知り、勝つ姿を見せたいという気持ちが強くなったそうです。
実際に大会当日は祖母が会場を訪れ、鏡選手の試合を応援していました。
鏡選手は試合後、祖母が熱心に応援してくれたことへの喜びを涙声で語っています。
祖母にとっても、孫が金メダルを獲得する瞬間を間近で見られたことは、忘れられない出来事となったのではないでしょうか。
今回の金メダルには、競技成績だけでなく、祖母への思いも込められていたのです。
鏡優翔はパリ五輪前にも大怪我をしていた?
鏡優翔選手は、2026年のアジア大会以前にも、複数の大きな怪我を経験していました。
2024年のパリ五輪に向けた準備期間にも、競技生活を左右しかねない負傷を繰り返しています。
- 2022年末:右大胸筋を断裂
- 2024年3月:肋骨を骨折
- 2024年5月:右膝の内側側副靱帯を損傷
- 2026年9月頃:右膝の前十字靱帯を完全断裂
2022年末には右大胸筋を断裂し、手術を受けました。
2023年の世界選手権まで時間が限られている中、前田翔吾コーチとともにリハビリやトレーニングに取り組んだといいます。
さらにパリ五輪を控えた2024年3月には肋骨を骨折し、5月には右膝の内側側副靱帯を損傷しました。
鏡選手は怪我をした期間も無駄にせず、ウエートトレーニングや心肺機能の強化などに取り組みました。
その結果、2024年のパリ五輪では金メダルを獲得しています。
ただし、2024年に負傷した右膝の内側側副靱帯と、2026年に完全断裂した前十字靱帯は別の靱帯です。
過去の負傷と今回の断裂との間に直接的な関係があるかどうかは明らかになっていません。
鏡優翔の今後はどうなる?
右膝の前十字靱帯を完全断裂した状態で金メダルを獲得した鏡選手ですが、今後の競技活動にも注目が集まっています。
2026年10月には世界選手権が予定されています。
しかし、アジア大会終了後の時点では、世界選手権への出場や手術を受けるかどうかについて、今後検討すると報じられています。
前十字靱帯の完全断裂は、競技復帰に向けて慎重な治療やリハビリが必要となる怪我です。
今後どのような治療方針を選ぶのか、競技活動への復帰がいつになるのかは、現時点では明らかになっていません。
鏡選手は2028年のロサンゼルス五輪で再び金メダルを獲得することも目標に掲げています。
まずは怪我の状態と治療方針が、今後の競技活動を左右することになりそうです。
まとめ
鏡優翔選手の家族構成や経歴・学歴、大怪我を抱えて金メダルを獲得した裏側について紹介しました。
鏡選手は父親・母親・兄との4人家族で、父親と兄の影響を受け、小学1年生からレスリングを始めています。
高校時代にはインターハイ3連覇を達成し、東洋大学在学中の2023年には世界選手権で優勝しました。
2024年のパリ五輪では、日本女子レスリング最重量級で初となる金メダルを獲得。
さらに2026年のアジア大会では、右膝の前十字靱帯を完全断裂した状態で出場し、逆転勝利で金メダルを獲得しました。
今回の出場を決断した背景には、祖母に勝つ姿を見せたいという強い思いがありました。
今後は怪我の治療や競技復帰、そして2028年ロサンゼルス五輪への挑戦に注目が集まります。


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