2026年9月、競輪界の第一線で長年活躍してきた諸橋愛さんの訃報が伝えられました。
49歳まで現役を貫いた諸橋さんですが、妻や子供など家族構成について気になっている人も多いようです。
今回は諸橋愛さんの家族構成をはじめ、経歴や学歴、戦績、落車事故から死去までの経緯を整理します。
諸橋愛の妻・子供など家族構成は?
諸橋愛さんは、競輪選手として長く第一線で戦う一方、家庭では妻や子供を持つ父親でもあったとされています。
家族について詳しく見ていきます。
妻は恵さん?
諸橋愛さんは結婚しており、妻は「恵さん」とみられています。
2026年9月の落車事故後には、「諸橋恵」名義のXアカウントから、諸橋さんの妻であることを明かしたうえで、ICUで治療を受けていることなどが伝えられていました。
投稿では、頸髄損傷によって首から下が動かない状態であることなど、事故後の厳しい容体についても明かされています。
その後に公表された諸橋さんの負傷状況とも一致しています。
また、過去の競輪関連の記事では、諸橋さんが2002年に結婚したとの情報もあります。
ただし、公式プロフィールでは妻の氏名や結婚時期などは公表されていません。
妻は一般人とみられるため、顔画像や職業など詳しいプロフィールについても明らかになっていないようです。
子供は娘が2人?
諸橋愛さんの子供については、過去の競輪関連の記事で「娘が2人いる」と紹介されています。
この情報をもとにすると、家族構成は以下の4人だったとみられます。
- 諸橋愛さん
- 妻
- 長女
- 次女
ただし、子供の人数についても公式プロフィールで公表されている情報ではありません。
娘2人の名前や年齢、職業などについても詳しい情報は確認されていません。
家族について積極的に発信する選手ではなかったことから、プライベートは大切にしていたのかもしれません。
諸橋愛のプロフィール
諸橋愛さんは、新潟県を代表する競輪選手として長く活躍してきました。
プロフィールは以下の通りです。
- 名前:諸橋愛
- 読み方:もろはし めぐむ
- 生年月日:1977年7月21日
- 年齢:49歳
- 出身地:新潟県
- 身長:172cm
- 体重:75kg
- 期別:79期
- 級班:S級1班
- 脚質:追い込み
- ホームバンク:弥彦競輪場
「愛」と書いて「めぐむ」と読む名前も印象的です。
長年にわたりS級で活躍し、40代後半になってもトップクラスの選手たちと戦い続けていました。
諸橋愛の学歴は?
諸橋愛さんは学生時代から高い運動能力を発揮し、自転車競技で全国レベルの実績を残しています。
出身高校は新潟県立吉田商業高校
諸橋愛さんの出身高校は、新潟県立吉田商業高等学校とされています。
同校は現在の新潟県立吉田高等学校です。
諸橋さんは高校時代に自転車競技に取り組み、全国大会でも活躍しました。
主な学生時代の実績として、以下が確認されています。
- 1993年:チャレンジサイクルロードレース中学の部優勝
- 1994年:インターハイ・ポイントレース2位
- 1995年:インターハイ・4km速度競走優勝
高校3年生だった1995年には、インターハイで全国優勝を果たしていたことになります。
また、中学生時代には陸上競技にも取り組んでいたとされ、駅伝や800m走などでも結果を残していました。
自転車競技だけでなく、もともと持久力や運動能力に優れていたことがうかがえます。
なお、出身小学校や中学校については詳しい情報は公表されていません。
諸橋愛の経歴は?
高校時代から自転車競技で活躍した諸橋愛さんは、その後プロの競輪選手を目指します。
日本競輪学校79期に入学し、競輪学校時代には以下の成績を残しました。
- 1着:11回
- 2着:13回
- 3着:11回
- 在校順位:32位
そして1997年4月13日、地元の弥彦競輪場でプロデビュー。
同年4月23日には松戸競輪場で初勝利を挙げ、5月5日には静岡競輪場で初優勝を果たしています。
その後着実に力を伸ばし、2000年にはS級で初勝利。
2003年7月からはS級1班に在籍し、以降20年以上にわたって競輪界のトップカテゴリーで戦い続けました。
大きな転機となったのが2017年です。
40歳となったこの年に共同通信社杯でG2初優勝を達成。
さらにKEIRINグランプリへの出場も果たしました。
翌2018年には競輪界のトップ選手だけが所属するS級S班にも在籍しています。
若手時代だけではなく、40代になってからも競輪界のトップレベルで結果を残した選手でした。
諸橋愛の戦績は?
諸橋愛さんは約30年にわたる現役生活で、多くの勝利を積み重ねています。
主な通算成績は以下の通りです。
- 通算出走:2377回
- 1着:435回
- 2着:424回
- 3着:351回
- 優勝:52回
- G2優勝:1回
- G3優勝:8回
- KEIRINグランプリ出場:1回
代表的なタイトルは、2017年9月の共同通信社杯です。
諸橋さんにとって初めてのG2制覇となりました。
G1タイトル獲得には届かなかったものの、G1決勝には17回進出しています。
一度だけ大きな結果を残した選手ではなく、長期間にわたってビッグレースの上位争いに加わっていたことがわかります。
諸橋さんは「追い込み」を得意とする選手でした。
ラインを組む選手を援護しながら、最後の直線で勝負するスタイルで、多くの競輪ファンから知られる存在でした。
40代後半になってもS級1班に所属し、49歳まで現役選手として第一線を走り続けています。
諸橋愛の落車事故で何があった?
諸橋愛さんは2026年9月12日、レース中の落車事故で大きなけがを負いました。
事故が起きたのは奈良競輪場で行われていたG3「平安賞in奈良」の準決勝11Rです。
最終周回で落車
レースは最終周回に入り、2センター付近で前方の選手によるアクシデントが発生しました。
諸橋さんはその影響を受ける形で落車。
レース結果は「落車棄権」となっています。
事故後、諸橋さんは奈良市内の病院へ救急搬送されました。
その後、頸髄損傷という重傷を負っていたことが明らかになります。
妻を名乗るXアカウントからも、諸橋さんがICUで治療を受けていることや、首から下が動かない状態であることなどが伝えられました。
競輪ファンからは回復を願う声が数多く寄せられていました。
諸橋愛の死因は?
落車事故から約9日後となる2026年9月21日、諸橋愛さんの死去が発表されました。
49歳でした。
公表された死因は「頸髄損傷による多臓器不全」です。
頸髄は首の部分にある脊髄で、脳から体へ情報を伝える重要な神経が通っています。
諸橋さんは9月12日の落車事故によって頸髄を損傷し、奈良市内の病院で治療を受けていました。
しかし、その後多臓器不全となり、9月21日午前2時14分に亡くなったとされています。
事故後も懸命な治療が続けられていただけに、突然の訃報には競輪ファンから多くの悲しみの声が上がりました。
49歳まで現役を続けていたトップ選手の死は、競輪界にとっても大きな出来事となりました。
まとめ
今回は、諸橋愛さんの妻や子供など家族構成、経歴や学歴、戦績、落車事故と死因についてまとめました。
- 1977年7月21日生まれの新潟県出身
- 妻は恵さんとみられている
- 過去の記事では娘が2人いると紹介されている
- 吉田商業高校時代にインターハイで全国優勝
- 日本競輪学校79期として1997年にプロデビュー
- 2017年に共同通信社杯を制覇
- 通算2377戦435勝、優勝52回
- 2026年9月12日の奈良競輪で落車
- 頸髄損傷による多臓器不全のため49歳で死去
20年以上にわたりS級1班を中心に走り続け、40代になってからもトップレベルで活躍した諸橋愛さん。
通算435勝という戦績だけでなく、49歳まで現役選手としてバンクに立ち続けた姿も、多くの競輪ファンの記憶に残ることでしょう。


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