劇団新派を代表する俳優として、昭和・平成・令和の3時代にわたって活躍した水谷八重子さん。
2026年8月28日に87歳で亡くなったことが発表され、夫や子供などの家族構成についても注目が集まっています。
この記事では、水谷八重子さんの夫や子供、両親などの家族構成をはじめ、経歴や死因、黒柳徹子さんらの追悼コメントについてまとめます。
水谷八重子の夫や子供など家族構成は?
水谷八重子さんはジャズドラマーの白木秀雄さんと結婚していましたが、1963年に離婚しており、子供がいるとの公表情報は確認されていません。
水谷八重子さんの家族構成を整理すると、次のようになります。
- 父:十四代目・守田勘彌さん
- 母:初代・水谷八重子さん
- 本人:二代目・水谷八重子さん
- 元夫:白木秀雄さん
- 子供:公表情報は確認されていない
- 父の養子:五代目・坂東玉三郎さん
父は歌舞伎界、母は新派を代表する名優という芸能一家に生まれており、水谷八重子さん自身も10代から芸能活動を始めています。
夫はジャズドラマーの白木秀雄
水谷八重子さんの元夫は、日本を代表するジャズドラマーの一人として活躍した白木秀雄さんです。
白木秀雄さんは1933年1月1日生まれで、東京芸術大学に学び、1950年代からジャズドラマーとして活躍しました。
自身のクインテットを結成し、当時の日本ジャズ界を代表する人気プレーヤーとなっています。
水谷八重子さんは当時「水谷良重」の名前で活動しており、1959年に白木秀雄さんと結婚しました。
人気女優・歌手と人気ジャズドラマーというスター同士の結婚だったことから、大きな注目を集めたようです。
しかし、2人は結婚から約4年後となる1963年に離婚しています。
白木秀雄との離婚理由
水谷八重子さんと白木秀雄さんの離婚では、水谷さんが語った「愛しているから別れます」という言葉が当時大きな話題となりました。
水谷さんは後に、白木さんが子供を望んでいた一方、自身は芸能人としてさらに成長していきたいという思いが強かったことを明かしています。
妻として家庭に入ることと、俳優・歌手として仕事を続けることの間で悩んでいたことがうかがえます。
嫌いになって別れたという単純なものではなく、お互いが望む人生の方向性に違いが生まれたことが離婚につながったようです。
白木秀雄さんはその後、1972年に39歳の若さで亡くなっています。
子供はいる?
水谷八重子さんに子供がいるとの公表情報は確認されていません。
元夫の白木秀雄さんとの間にも、息子や娘が誕生したとの情報は公表されていませんでした。
離婚について語った際には、白木さんが子供を望んでいたことに対し、水谷さんは女優として成長していきたいという思いを抱いていたことを明かしています。
水谷さんにとって当時は、家庭を築くこと以上に芸能活動を続けることへの思いが強かったのかもしれません。
また、白木さんとの離婚後に再婚したとの公表情報も確認されていません。
父は十四代目・守田勘彌
水谷八重子さんの父は、歌舞伎俳優の十四代目・守田勘彌さんです。
守田勘彌さんは歌舞伎界で活躍した名優で、水谷さんは父から歌舞伎の血を受け継いでいます。
水谷八重子さんが舞台の世界で長く活躍した背景には、幼い頃から演劇が身近にある環境で育ったことも大きかったと考えられます。
母は初代・水谷八重子
母は、新派を代表する女優として知られた初代・水谷八重子さんです。
初代水谷八重子さんは新派の歴史を語るうえで欠かせない名優で、数々の名舞台を残しました。
二代目となる水谷八重子さんは、母が築いた大きな名前を1995年に受け継いでいます。
襲名前は水谷良重としてすでに人気俳優だったため、単に母の名前を受け継いだだけではなく、自身の実績を積み重ねたうえで「二代目水谷八重子」となりました。
坂東玉三郎との関係
歌舞伎俳優の五代目・坂東玉三郎さんも、水谷八重子さんの家族と深い関係があります。
坂東玉三郎さんは1964年に、水谷さんの父・十四代目守田勘彌さんの養子となりました。
そのため、水谷八重子さんと坂東玉三郎さんは実の姉弟ではありませんが、養子縁組上では姉弟にあたります。
母は新派の名優、父は歌舞伎俳優、さらに坂東玉三郎さんとも家族としてつながっており、水谷さんが非常に華やかな芸能一家に生まれたことが分かります。
水谷八重子の経歴
水谷八重子さんは16歳で初舞台を踏み、その後は舞台だけでなく映画、テレビ、歌手、朗読など幅広い分野で活躍しました。
- 名前:水谷八重子
- 代数:二代目
- 本名:松野好重(まつの・よしえ)
- 生年月日:1939年4月16日
- 出身地:東京都
- 父:十四代目・守田勘彌
- 母:初代・水谷八重子
- 前名:水谷良重
- 職業:俳優、歌手、演出家など
1955年、16歳のときに水谷良重の名前で歌舞伎座の新派公演に出演し、初舞台を踏みました。
同じ時期にはジャズ歌手としてもデビューしています。
ハスキーな歌声でも人気を集め、NHK紅白歌合戦にも4回出場しました。
1957年には映画「青い山脈」に出演し、その後も「座頭市物語」「悪名」シリーズなど数多くの映画に出演しています。
テレビ草創期には黒柳徹子さん、横山通乃さんとともに「テレビ三人娘」と呼ばれ、バラエティー番組やドラマでも活躍しました。
舞台、映画、テレビ、歌と幅広い分野で活動しており、現在でいうマルチタレントの先駆けのような存在だったともいえそうです。
1995年に二代目水谷八重子を襲名
1979年に母の初代水谷八重子さんが亡くなった後、水谷さんは波乃久里子さんらとともに劇団新派を支えていきます。
そして1995年、二代目水谷八重子を襲名しました。
「滝の白糸」「日本橋」「婦系図」「鹿鳴館」など、新派を代表する作品に数多く出演。
母から受け継いだ新派の伝統を守りながら、新作や朗読劇などにも積極的に取り組んでいます。
2001年には紫綬褒章、2009年には旭日小綬章を受章しました。
2024年には、亡くなった西田敏行さんの後任として日本俳優連合の理事長にも就任しています。
俳優としてだけでなく、日本の演劇界全体を支える存在となっていました。
水谷八重子の死因は?
水谷八重子さんの死因は肺炎で、2026年8月28日に東京都内で亡くなりました。87歳でした。
訃報は8月31日に発表されました。
葬儀・告別式は近親者で執り行われ、後日お別れの会が開かれる予定となっています。
水谷さんは亡くなるまで長年にわたって舞台を中心に活動していましたが、2026年4月には体調不良が伝えられていました。
2026年4月には体調不良で舞台を休演
水谷八重子さんは2026年5月に新橋演舞場で上演された「新派・松竹新喜劇 合同喜劇公演」の「明日の幸福」に出演する予定でした。
しかし、4月22日に体調不良を理由として休演することが発表され、予定していた役は久本雅美さんが務めています。
このとき、体調不良の詳しい内容については公表されていませんでした。
そのため、4月の体調不良が今回死因となった肺炎と直接関係していたのかは明らかになっていません。
生前最後の舞台は、2025年2月に京都・南座で上演された新派喜劇公演「三婆」の富田駒代役となりました。
一方、2026年4月27日放送の「徹子の部屋」には波乃久里子さんとともに登場し、黒柳徹子さんとテレビ草創期の思い出などを語っていました。
長年の盟友たちと笑顔で語り合う姿が放送されてから、約4か月後の訃報となりました。
黒柳徹子らが水谷八重子を追悼
水谷八重子さんの訃報を受け、長年親交があった黒柳徹子さんや波乃久里子さん、友近さんらが相次いで追悼のコメントを寄せています。
黒柳徹子は「大切な仲間」と追悼
黒柳徹子さんと水谷八重子さんは、まだ水谷さんが「水谷良重」として活動していたテレビ草創期からの仲間でした。
黒柳さん、水谷さん、横山通乃さんは「テレビ三人娘」と呼ばれ、生放送のドラマやバラエティー番組などで共演しています。
黒柳さんは水谷さんについて、若い頃から楽しく一緒に過ごし、生放送の時代をともに駆け抜けた大切な仲間だったと振り返りました。
水谷さんが二代目水谷八重子を襲名した後も、昔から知っているため「良重ちゃん」と呼んでいたそうです。
訃報を受けて「本当に寂しいです」と心境を明かし、若い頃からの思い出への感謝を伝えています。
2026年4月放送の「徹子の部屋」でも共演していただけに、黒柳さんにとっても大きな別れとなったことが伝わってきます。
波乃久里子は「本当の姉妹のよう」
同じ劇団新派で長年活動してきた波乃久里子さんも、水谷八重子さんを追悼しています。
2人が出会ってからの付き合いは約66年に及びました。
波乃さんは水谷さんとの関係について「家族よりも長く本当の姉妹のように」と表現。
長い付き合いの中では喧嘩をすることもあったものの、舞台に上がれば「阿吽の呼吸」で演じることができる特別な存在だったと振り返っています。
新派を長年一緒に支えてきた2人だからこそ、単なる共演者を超えた深い絆があったのでしょう。
最後には水谷さんへ「本当にほんとうにありがとう」と感謝を伝えました。
友近も水谷八重子との思い出を明かす
友近さんも水谷八重子さんの訃報を受け、追悼のコメントを寄せています。
友近さんといえば、大物演歌歌手という設定のキャラクター「水谷千重子」としても活動しています。
「水谷八重子」と「水谷千重子」は一文字違いですが、友近さんによると、水谷千重子という名前を考えた際に水谷八重子さんを意識して付けたものではなかったそうです。
その後、水谷八重子さん本人と共演する機会があり、似た名前を付けてしまったことを謝罪したといいます。
すると水谷さんは怒るどころか笑い飛ばし、「今度私が友近って名乗ろうかしら」とユーモアたっぷりに返したそうです。
さらに友近さんの活動を応援する言葉もかけており、友近さんは「あの時のお言葉で救われました」と感謝しています。
後輩や若い世代の活動を温かく受け止める、水谷八重子さんの人柄が伝わるエピソードです。
まとめ
今回は、水谷八重子さんの夫や子供などの家族構成、経歴や死因、黒柳徹子さんらの追悼コメントについてまとめました。
- 元夫はジャズドラマーの白木秀雄さん
- 1959年に結婚し1963年に離婚
- 子供がいるとの公表情報は確認されていない
- 父は十四代目・守田勘彌さん
- 母は初代・水谷八重子さん
- 坂東玉三郎さんとは養子縁組上の姉弟にあたる
- 1955年に水谷良重として16歳で初舞台
- 1995年に二代目水谷八重子を襲名
- 2026年8月28日に87歳で死去
- 死因は肺炎
- 2026年4月には体調不良で舞台を休演していた
- 黒柳徹子さん、波乃久里子さん、友近さんらが追悼コメントを発表
舞台だけでなく映画、テレビ、歌手としても活躍し、70年以上にわたって日本の芸能界を歩み続けた水谷八重子さん。
母から受け継いだ新派の伝統を守りながら、新しい作品にも挑戦し続けた功績は、今後も長く語り継がれていくことでしょう。


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